日本の手作りパンを、ハワイに定着させる
ブルクハワイでは、ミホさんが社長の座に就き、現社長は会長に就任することが決まった。
出産するやミホさんは夫に子育てを委ね、パン焼き職人、ベーカーとしての修行を開始。朝4時前に工房に一番乗りし、パン生地作りや成形、焼き作業に明け暮れた。
親身に働いてくれるスタッフにも恵まれ、経営は順調だった。第二子、次男も誕生した。ところが2016年、想定外のことが起きた。シロキヤの移転である。
「契約は途中で打ち切られてしまい、私たちはテナントを失いました。ハワイを撤退するか生き残るか一時は悩みましたが、スタッフもお客さんからもブルクを続けてというエールをもらい、存続するために急遽、新しい店舗探しをして。でも今思うと私は未熟だった」
急いで借りた、アラモアナセンターの新店舗はキッチンが手狭だった。
「行列を作ってもらってオープンしたのに、いろいろな点に不備があり、お客さんをがっかりさせてしまったかもしれません」
ミホさんは近くの車に寝泊りしながら、1日20時間以上働き、パンの品質だけは落とさないようオペレーションを立て直した。2週間ほどで軌道修正することができた。小さいながらお客さんに満足してもらえる店として定着し、今も営業を続けている。
2017年にはパールリッジ店、アラモアナセンターのラナイ店が次々にオープン。
「パールリッジ店はローカルのお客さんが圧倒的に多いから、アラモアナで人気の明太子パンよりソーセージロールが売れ、日本的なあんパンよりカスタードパンが人気です。店の立地やお客さんのニーズに合わせたきめ細かな商品展開を心がけています」
翌2018年にはマノア店もオープン。そして今日、待望のカハラ店がオープンする。
本日グランドオープンするカハラ店のパン焼き厨房。職人たちが仕込み、次々と焼きたてが店頭に並ぶ |
新しいカハラ店では、伝説のなめらかプリンを販売!
「カハラでのオファーは随分前からあったんですが、ブルクの一つの集大成として自信を持って出店したかったのでこの時期になりました。今までのブルクは人通りの多いところに出店していましたが、カハラ店は人を呼び込める“目的店”にならなければなりません。近くに小学校などがあるので、送り迎えの途中に立ち寄って、子育ての忙しさからしばし解放されるような店づくりをしたいです。エスプレッソマシーンも導入して、おいしいコーヒータイムをお過ごしいただけます」
なんと、中国で大成功した“なめらかプリン”も販売するのだという。 「私自身の生活も一区切りつけます。夫のアルベルトは数年前から経営上のパートナーも務めてくれていますが、彼に委ねる仕事を増やし、私は母親として子育てをもっと楽しもうと思っています。去年から、朝ごはんと昼のお弁当、お夕飯は私が必ず作るようになりました。今年は子どもたちの春休みはずっと一緒に過ごす、週1回サッカーなどの習い事には必ず付き添っていくことをお約束にしています」
週1回、1日何時間と、数字的な目標を掲げると実行しやすいですねと、経営者ならではの発言。
「私は母性の経営者なんじゃないかなと思うんですよ。投資を回収すればスタッフの休みを増やせる、給料を上げられる。ハワイの労働環境は厳しいからこそ、ブルクの従業員には不安なく生活できるようになってほしいと願うんです。母親的な発想の経営なんですね。今も日本のブルクと技術協力や人材の相互派遣を行っていて、カハラに社宅を確保して福利厚生も行っています。皆んながハッピーになれなきゃ事業の意味はありませんから。お客さんはもちろん、従業員にも喜ばれるブルクであり続けたいです」
(取材・文 奥山夏実)
フェレナンデス一家、2人の息子は現在4歳と3歳。夫でイケメン笑顔のアルベルトさんは、新しいカハラ店で采配を振るう |
(日刊サン 2019.05.11)