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デジタル版・新聞

インタビュー

株式会社青梅不動産 代表取締役 中込眞澄さん

誰もやらないなら私がやる! と始めたぷらむニュース

私は「ぷらむニュース」という地域情報誌を年に4回発行しています。これももう12年ほどになりますね。不動産業を始めて17年目になった頃、平成8年に主人がなくなってしまいました。

 

私は社長でしたから、そのまま仕事さえやっていれば生活には支障はありませんが、すっかり気落ちしてやる気を無くしてしまいました。引きこもってしまって、誰にも会いたくなかった。でもお客様など心配してくれる方がたくさんいらしたんです。

 

私は皆さんに心配をかけないようにと思 って、手紙を出すことにしました。それで手作りでニュースレターのようなものを作ったところ、それがとても好評だったんですね。

 

「社長はよう、これを毎月出すなんて無理だんべ」というお客様がいらっしゃいました。その言葉を聞いて、絶対に毎月出してやる!と私は決心しました。それで5年くらいは毎月出していましたね。

 

「千客彩時記」というコーナーを作って、青梅不動産にいらっしゃるお客様のことや、様々な出来事を書いた読み物にしました。それが好評で本まで出版することになりました。(丸善から「20years」というタイ 卜ルで出版)

 

ぷらむニュースを始めたのは悲しかったからなんですよ。どこかに心のはけ口が欲しかったんですね。絵を描くとか文章を書くとか、音楽もそうかもしれないけど、心を癒す効用がありますでしょう?例え世間一般の ことを書いたとしても、自分の個性を表現しているのだと思います。

 

そうこうしているうちに、私を取材する人がいて、女性の不動産屋も珍しいのに、本まで出してしまったから面白かったんでし ょうね。色んなところで取り上げられました。

 

でも素材は私と本なのに、皆全然違う書き方をしていて、 「どれも私ではない」と思うこともありました。視点によって物の見え方って全然違うでしょう?文章表現ってこんなに違うのかと驚きました。

 

それから、いくつかの新聞で同じ事件を読み比べたりするようになって、文章にとても興味を持つようになりました。青梅市は東京の郊外で、ここが東京?という静かな街です。

 

地域の若い人たちは「タウン誌が一つもない」と嘆いていました。情報誌の一つくらいあるべきだという のが、皆の一致した意見でした。でも誰も作らないんですよ。だんだん頭に来て「それなら私が作る!」となってしまった(笑)。

 

今まではお客様に向けてのぷらむニュースだ ったけど、今度は市民向けのものを作ろうと思いました。でも、そんなことはやったことがありませ ん。私を取材に来た人で、感性が合う方がいたので相談してみると、一緒にやってくれるということになりました。

 

そういうわけで、私が対談などをしてそれを彼女が全部書いてくれて 創刊号がでました。 ところがね、彼女は子供が出来たので辞めますと言うんです。次の号はまだ先だから、落ち着いたら少しくらい書けるでしょう?と尋ねても 「辞めます」の答えです。どうしよう、と困ってしまいました。

 

でも私の性格で は簡単にやめるわけにはいかない。東北人だし、長女気質だから、物事を途中で止められないんです。変に根気強いのよ(笑)。 最終的には誰かに相談することはしないという結論に達して、全部自分で作ることにしました。

 

もともと書く気はなかったのに、書く機会を与えられて、だんだん練習を積むようになって、現在に至っております。 こういう経緯がなければ、日刊サンにコ ラムを書こうとも思わなかったと思います。

 

 

懐かしい場所が被災地に。復興への想い

私は宮城県出身で、何度も県内を引越ししていましたから、今回被災したとこる は、知っている場所がたくさんありました。 子供の頃に泳いだビーチや、初めてキャンプをした海岸や、懐かしい場所が津波に のみこまれる映像を見ました。

 

震災が起こった時に私はたまたまハワイにいて、日本は大変なことになっているのに申し訳ないという気持ちになってしまって、しばらくの間、外に出ることがつらか ったです。これは日本人的な発想なのかもしれませんが、みんなと苦労や悲しみを分かち合えないことが心苦しかった。

 

でも悩んでいるうちに「自分がハワイ にいた偶然をもっと大事にしなければいけない」と思うようになりました。日本を外から見る役割を務めようと考えを切り替えました。そうでないと、もうやって行けなかった。

 

体調が悪くなってハワイの病院に行ったら、日本人が病院にたくさん来ていると言っていましたよ。ストレスでメンタル的に苦しくなってしまっているそうです。

 

ご存知かと思いますが、日本文化センタ ー には、日本人移民たちが子孫に伝えようと日本人の価値観を彫った石が12本あります。義理、我慢、恩……昨年夏にそれを見た時、涙が出ました。それは今の日本人が亡くしてしまったものばかりでしたから。まさかハワイで日本の心を見つけるとは思いませんでした。

 

でも今回、震災に会った日本人の行動をみていると、実はこの心を失くしてはいなか ったことが分かりました。

 

どうして暴動にならずに整然としていられるのかとか、 Twitter などに書かれている若い人たちの温かい言葉、そして、それこそ命がけで日本を守ろうとする、自衛隊員、警察官、原発で の作業員、消防隊員、一般の方々、あの勇敢な行動はどれも日本人の価値観からきていると思います。胸が痛くなります。

 

被災地の映像を見ていて、戦災の写真ととても似て見えました。すべて一瞬にしてなくなってしまった絶望怨が映像から伝わってきて。日本は戦争から復興したけれど、何か大切なことを忘れてしまっていた のではないかと思うんです。

 

今回、また全て失ってしまうような大変なことになってしまったけれど、真の意味での日本復興になったら、と思います。たくさんの方が亡くなられて、多くの方が災難に遭われている中、こんな言い方をすると誤解を招くかもしれませんが、日本がもう一度やり直す機会なのかもしれない。

 

戦後の日本人は考え方や生き方をガラリと変えてしまったけれど、それをまた見直す必要があるのではないかと思います。 それから、ありがたかったのは海外から の救助隊のことです。なかでも、韓国と中国の救援活動はうれしく思いました。

 

実は放射能を恐れて、帰ってしまった国もあったのですが 韓国と中国の援助隊は危険を恐れず力強い救援活動をしています。 近所の国はありがたいです。日韓、日中は何となくギクシャクしていましたが、この 地震、津波で過去のことは清算し、新しい関係が生まれないものだろうかと願っています。

 

東京の友人から「星がきれいです」というメールがきました。停電で真っ暗で、それで星がたくさん見えるそうです。天は私たちに何かを考えさせようとしているので はないだろうかと思います。

 

 

 


中込眞澄(なかごめますみ)

宮城県出身。父親の仕事の関係で、宮城県内を点々として子供時 代を過こす。結婚後、東京都齊梅市に在住。 1980年1月株式会社 青梅不動産を設立。今年創業31 周年を迎えた。ふとしたきっかけ で始めた地域情報誌「ぷらむニュース」も話題になり、現在年に4 回のペースで発行中。尚、祖父の古山伴右衛門氏は、ハワイに初 の剣遵道場を設立した人物。祖父、伯父、父の記録を集めて本に まとめることを目指して、昨年からハワイを頻繁に訪れている。 http://www.ome-fudosan.com/
http://www.plumnewsjp/


 

 

(日刊サン 2011.03.24)

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