自分自身が幸せでなければ、人を幸せにすることはできない
子供時代は、一人っ子なのでワガママだと言われ続けてきました。父は忙しくて、遊んでもらったという記憶がほとんどありません。
でも、当時 「お子様ちびっ子一人旅」 と言って、子供が飛行機で一人旅をすることができるというプログラムがあり、東京と大阪の親戚のところにいつも一人で遊びに行かせてもらっていました。その経験が今に反映しているのかなと思います。
例えば久留米などでは、地元の人間の8割が大人になってからも地元から出ないんです。僕は子供の頃の経験があったおかげで、色んな土地に行って出店することが出来たんじゃないかなと思いますね。チャレンジできるというか。父からはそういう経験を積ませて頂きました。
母からは「感謝」す ることを教わりました。今でも寝る前にはお世話になった人たちに「ありがとう」とお礼を言ってから寝るようにしています。それから、挨拶の大切さや、目を見て話すことなど、人として基本的なことを教わりました。
父が亡くなってから母が僕に常に言っていたのは「生き金と死に金の使い方だけは分かりなさい」ということ。
「死に金だったらいくら使っても一緒。生き金は、絶対にそのお金が”生きて”くる時がある。その時だけは間違えないように」という言葉だけはいまだに言われ続けています。その「生き金」 の使い方がここにきて少し上手く出来たのかな?と思いますね。
僕は自分自身が大好きです。一般的には「他人を先に大事にして、最後に自分が幸せだったらいい」という考え方が良いとされていますが、僕は違うと思うんです。
先ず自分自身が幸せじゃなければ、人を幸せにす ることなんて出来ないと思います。
ご先祖 様から受け継いだ命に感謝し、自分が自分を大好きになって、そこからラ一メンも大好 きになって仕事も大好きになる。家族や奥さんを大事にする。それが出来て初めて周りの全てを大事に出来るんじゃないかなと思います。
そのことは社員教育でも必ず言い続けています。 今までに上手く行かなかったことはもちろんあります。日本では今20店舗以上を展開しているのですが、以前45店舗まで増やしたことがあるんです。
ラ一メンテーマパ一クに期間限定でまとめて出店していた分があるので、本当に閉めた店舗は数店なのですが。この失敗というのは「想い」が不足した事なんです。
1ヶ月、2ヶ月に1店舗という風にどんどんオープンしていったのですが、そうなるとスピードがありすぎて、店舗を出すことに一生懸命になってしまったんです。もちろん気持ちはあります。でもそれだけじゃ1店舗1店舗に、本当の愛情が生まれないんですよ。
それよりも、確実にスタッフ1人1人を育てて、お店のどんぶりや釜のひとっひとつに、ありったけの想いを込めて店を作りあげる。そこからじゃないと本当の愛情は 生まれないなと思いました。
なので、現在日本での店舗展開も、今は全然急いでいないです。根っこが細いままでは樹は育たない。根がしっかり張って、大地を掴み、そこから太い幹となり枝となり、ということをしなければならない。そういう土台を作らないで店舗展開をしてしまったら駄目ですね。
ハワイでも、オアフ島でまずはしっかりした根を張れるようなラ一メン屋にならないとと思っています。
和僑というネットワークを世界に広げていきたい
最終的に僕は世界に「和僑」というものを作りたいんです。中国人には華僑というネットワークがありますが、日本人はどうかというと、海外に出てその土地に馴染んでも結局リトルトーキョ一止まりなんですよ。
それぐらいの規模でしか作れない。華僑やコリアンタウンは世界中に広がっています。僕は和僑を作って、最終的にはそれを世界に広げて行って学校を作りたいんです。
その学校の子供たちから日本人の心を広めて行って欲しい。日本人の誇りを持った人間を一人でも多く育てて行きたいなという気持ちがあります。
その為には気持ちと気持ちでぶつかったパートナーではないと心でつながれない。心でつながれないと一生のパートナーにはなれませんよね。それはお金だけのつながりではない。それらの事も和僑として教えていきたい。
そのつながりは裏切らないし、一生続きます。 夢って必ず叶えられると思うんです。でもそれは想い考え・行動が揃わないと実現しない。
たとえば、 「アラモアナセンターに店を出したい」と思った時に、どんなに困難な壁があったとしても、思い悩むより、それを気持ちで乗り越えて行動してしまった方が早く実現できると思います。
壁から逃げる道は楽ですが、壁にぶつかって行った方が夢を叶えるには近道なんです。夢を叶えられない人は遠回りをしてしまっている ので人生に負けてしまうのではないでしょうか。
3年後の夢、5年後の夢と、夢に期限を付けるといいと思います。「2013年1月1日に僕は~をしている」という風に、夢に日付を書いておくんです。僕は子供の頃に欲しい車の写真を壁に貼って毎日見ていました。
でも、毎日見ているだけでは駄目なんです、そこに日付を書いておかないと。そういうことを今まで徹底してやってきましたね。
子供の頃は20坪くらいの借家に住んでいました。部屋は3つの小さい家で、大きな家の友達ところに遊びに行くとうらやましか ったです。
小学校4年生の時に父がお風呂をリフォームすると言ったので、僕は勘違いしてしまって大浴場になると思ったんです。ところが、リフォ ームが終っても何も変 わらないんですよ。
その時に、自分が大人になったら絶対に大きい家を建てて、大きいお風呂を作ろうと心に決めました。今はその夢は全部叶いました。
和僑というのもひとつの大きな夢ですが、実は先日、実際に 「満ー和僑ジャパン」という会社をすでに設立したんですよ。これはまた別の広がりをすると思いますよ。
4月からは家族でハワイに住む予定です。子供たちには日本人の誇りを持って英語を学ばせたいし、国際的になってほしいという願いがあります。
日本にいる方が子供達にとって楽だとは思いますが、やはり僕が父からいろんな経験をさせてもらったように、自分の子供達にも色んな経験をさせてあげたい。そして大人になった時に、僕たち以上に和僑を広めてもらえたらと思いますね。
田中實(たなかみのる)
福岡県久留米市出身。20歳で祖父・父と続いた満洲屋 を引き継ぐ。2号店出店の際、店名を 「満洲屋が一番」に 改名。2004年 「火躍スペシャル今夜決定!餃子日本一 はここだ!」にて餃子日本ーに。 「満洲屋が一番」は業界 の風雲児として一気に注目を集める。
その後 「博多ちょう てん」 「札幌麺屋誉志喜」をオープン。2006年お台場ラ 一メン画技館第3期生として総売り上げ1位を達成。 2011年アラモアナセンター内白木屋の全国有名ラ一メ ン店激戦シリーズに出店、好評を得る。2012年3月ハワ イに 「麺屋 威風堂々」をオープン。趣味は旅行・ゴルフ・B級グルメ食べ歩きなど。
(日刊サン 2012.04.13)