ウルトラマンを架け橋に
ウルトラマンは日本の大切な文化の一つだと思っています。45年間も存在し、子供 にも大人にも心に残っている大切なキャラクターだと思います。
ここハワイにも日本の 文化を受けつぐた<さんの人が暮らしていらっしゃいますが、そんな場所にウルトラマンがいないことが不自然なんです。なので最新のウルトラマンをお届けに来ました。
実は今から40年前にハワイでウルトラマンが放送されていたんです。なので40年前に ウルトラマンを見てくださっていた世代のお客さんが、今回の映画祭にた<さん来てくださいました。お客さんの反応はダイレク卜で面白かったですね。
日本人の方もけっこう声を出して笑ったり泣いたりしてくれてたんですが、やはりハワイの人たちのリアクションはストレートで、解放的な感じを受 けました。映画ではアクションだけではなく、エモーショナルな部分に訴えるような内容もあって、そのあたり、お子さんが退屈するんじゃないかと心配だったのですが、結構見入 ってくれているようでした。
子 供さんがちよっとぐずった時 に、一緒に来ていたお母さんが「シーツ」って言ってたのを見て、お母さんも真剣に見ててくれていたようでうれしか ったです。映画の最後にクレ ジットタイトルが5分くらい あって、その後にあるラストカットが大事って言うか、一番伝えたいところだったんです。
みんな最後までは見ないで帰っちゃうんだろうな~って思ってたんですが、ほとんどの方がそれが終わるまでいてくれて、大きな拍手をいただいたので、みんなに伝わったなって言う充実感が ありました。
この映画祭では、たくさんのハワイの人にウルトラマンを見ていただいて、40年間ハワイの人たちに紹介できなかったウルトラマンが、しばらく見ない間にどう進化したかを比較して、喜んでいただいたと思っています。
これからもウルトラマンの文化を楽しさやすばらしさをハワイの人たちを含め、世界に伝えていきたいと思っています。ウルトラマンはハワイと日本という2つの地域の架け橋になれる存在だと思っています。
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ウルトラマン豆知識
ウルトラマンはゴジラの兄弟なんです。とはいってもキャラクター同士が兄弟ではなく、生みの親が同じという意味合いです。ゴ ジラは日本の東宝のキャラクターですが、ゴジラが誕生したのは昭和29年で、今から58年前に一番最初のゴジラが撮影されました。
その映画の特殊技術を担当したのが円谷英二さんです。その後テレビの中で 特撮を使ったドラマやコマーシャルを作るために円谷プロダクションを作り、そこでウ ルトラマンが誕生しました。ウルトラマンシリーズの始まりは、昭和41年7月から翌4月まで、TBS系で全39話が放送されました。
物語の中でのウルトラマン誕生は、科 学捜査隊のハヤタ隊員が小型ビートルに搭乗して青い球体と、赤い球体を追跡するところから始まりました。竜ヶ森湖上空で、ビートルが赤い球体に衝突して墜落し、ハヤタ隊員は命を落としてしまいます。
M78星雲から来た宇宙人は、自分の不注意でハヤタ隊員を死なせてしまったことに責任を感じ、ハヤタ隊員に自分の命を分け与えて 一心同体となります。普段はハヤタ隊員の姿をしており、ベータカプセルという道具を使って、M78星雲の宇宙人の姿をした身長40メートル(後のシリーズではさらに大きくなっていく)、体重3万5千トンの巨大なヒーロー「ウルトラマン」に変身します。
ウル トラマンの太陽エネルギーは地球上では急激に消耗するため、変身後は3分間しか活動時間がないと視聴者に認識されていますが、劇場版では3分間とは言及されていないようです。ウルトラマンの最初のテ レ ビシリーズでは平均視聴率36%、最高 視聴率は42.8%(昭和42年3月26日)を記録しました。
その後テレビシリーズだけでなく、映画やアニメーション、漫画や小 説、DVDやゲームソフトなど、初代キャラクター、ウルトラマンから始まり、最新作のウ ルトラマンサーガに至るまで、様々な形で 今も愛され続ける日本のスーパーヒーローなのです。
おかひでき
1966年広島県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒業後、 助監督として数々の作品に携わる。 1997年より、円谷プ ロダクション作品に参加。 「ウルトラマンダイナ」以降。数々 のウルトラマンシリーズを経験する。以降、フリーランスの 監督、助監督として幅広く活躍している。監督作品として は、「魔弾戦士リュウケンドー」(’06) 「トミカヒ一ローシリ ーズ」 (’08~’09) 「ウルトラ銀河伝説外伝ウルトラマンゼ ロウルトラマンゼロVSダークロプスゼロ」(’10)などがあ る。映画監督としてのデビュー作 「ウルトラマンサーガ」で は、“夕張国際映画祭ファンタランド大賞”を受賞。
(日刊サン 2012.10.26)