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デジタル版・新聞

インタビュー

映画監督 おかひでき さん

映像を作る人になる、
それ以外のことは考えなかった

大学を卒業して、東京にあるCM製作の会社に就職をしました。CMの仕事には助 手として何本か携わりました。

 

ただ、能力的についていけなかったっていうか、ぜんぜんダメでした。いろんな意味でのレベルについていけなかったんだと思います。社会人としてだったり、会社の社員としてだったりです。なんにしても僕はダメでした。とにかく会社のなかでは劣等生で、7人の同期のうち2番目に早く会社を辞めました。

 

一つはっきりしているのは、僕は挫折したっていうことです。会社の中で使い物にならない っていう烙印を押されたんですね。会社を辞めるに当たって、挫折感も味わいましたが、同時に開放感もありました。会社を辞 めて途方にくれはしましたが、すぐにまた自 主映画を作ることにしました。

 

会社を辞めてとりあえず旅をしながら、伊丹市のグリーン劇場(8ミリコンテストで入賞した)に挨拶にいったんです。そしたらちょうど、伊丹市の市政50周年の映画を撮る話があがつていました。伊丹市の映画 を撮るなら、伊丹市のことを知らなきゃいけないってことで、すぐに東京から伊丹市に引越しをしました。

 

伊丹で暮らして翌年の夏、市政50周年の映画を撮らせてもらうことになりました。 1000万の予算で90分の映画でしたが、アマチュアチーム3つに3分の1づつ予算が振り分けられ、その内の 1 チームを担当させてもらいました。

 

この映画を作るに当たって、制作費は出たんですがそれ以外は一切なく、アルバイトは少しはしてましたが映画の製作に夢中で、どうやって生活していたかは思い出せないんですよね(笑) 何十年も前のことですが、この映画に携わ った人の中で、何人かがウルトラマンサー ガの撮影に協力してくれてるんです。¥

 

伊丹市の市政映画の撮影終了後、東京での映画作りに参加するように声がかかって企画を進めていた時に、突然弟が交通事故で亡くなったんです。全く予期せぬ出来事でショックは大きかったのですが、両親のことが心配ですぐに広島に戻りました。

 

東京での映画作りには参加せず、家族が精神的に落ち着くまでの2年ほど、広島と関西を行ったり来たりしていました。その後また東京に戻り、助監督として再スタートをしました。アマチュアとしては何本か作品は 作りましたが、プロとして映画やドラマの世 界はこの時が初めてだったので、他の人に比べたら出遅れていたんですよね。

 

この後、フリーランスの助監督として、映画やドラマ、Vシネマの撮影に携わってきました。何でもこなせるようになりたいと思っていたので、その後12年ほどは助監賢として、どんな仕事でもお声がかかれば出向いていきました。

 

特撮の仕事は好きではありましたが、特に特撮だけを撮る監督になりたい わけではなかったのですが、なぜか特撮の仕事がたくさん来るようになりました。その 中の一つで 「魔弾戦士リュウケンドー」というテレビシリーズのチーム助監督をさせていただいていて、今から5年ほど前に、この 番組の監督をさせていただきました。

 

プロ の監督としてのデビュー作です。 その後、同じ会社が新しいヒ一ロ一物を立ち上げて、ローテーションの監督として呼んでいただき、このあたりからずっと子供 向けの番組に携わってきました。並行して 子供番組以外のVシネマの撮影もしていました。

 

5年ほど、トミカレスキューフォースを始め子供番組の仕事をしていた時に、円谷 プロダクションからウルトラマンゼロVSダークロプスゼロのDVDの撮影の仕事をいただきました。

 

ウルトラマンゼロは映画館で見て 「かっこいいな~」って思ったと同時 に、「ウルトラマンゼロで、次の作品を作る人は大変だな~」って思った3ヶ月後のことだったので、長いことウルトラマンの監督 をやりたいとは思っていましたが、実際仕事を頂いて恐怖感も抱きました。

 

翌年もDVDの撮影をするはずだったのですが、なぜか映画監督としてやらせていただ<ことになり、ウルトラマンサーガで映 画監督デビューとなりました。

 

 

ハワイ国際映画祭出品作品「ウルトラマンサーガ」

ウルトラマンサーガをハワイ国際映画祭 に出品するきっかけになったのは、人と人の繋がりでした。

 

今から45年前のオリジナルのウルトラマンでヒロインを演じられた女優さんで、現在は円谷プロダクションの プロデューサーでもある桜井浩子さんは、ハワイと縁が深い方で、ハワイ在住の多くの日本人の方をお友達に持っています。

 

たくさんの方々から、ウルトラマンの映画をハワイで上映してほしいとラブコールをいただいていたそうです。そして今回、5年越しのラブコールに応えるべく、「ウルトラマンサーガ」を出品するに至りました。

 

ウルトラマンサーガというのは、優しい性格のウルトラマンコスモと、若くて無鉄砲な ウルトラマンゼロと、勇者の風格のあるウ ルトラマンダイナという全く性格の違う3人のウルトラマンが地球に集まつて、侵略者に弾圧されていたわずかに生き残っていた地球人を助けるために、クライマックスで3人のウルトラマンのエネルギーが一体化したのがウルトラマンサーガなんです。

 

なのでサーガというキャラクターは、実は映画のクライマックスのみに登場する存在なんです。サーガとは純正、超ウルトラマンで、デザインも他のウルトラマンとは違っていて、体に光をまとっていて、あちこち光 っているんです。

 

この映画では、人間のお芝居の部分の撮影と、戦いの特撮とでチームが分かれています。僕はドラマ担当で、人間のお芝居を撮影するんですが、台本つくりの部分や、特 撮チームが撮ってきた映像を編集するのも僕の仕事です。

 

特撮チームの監督は三池敏夫さんで、特撮の世界の大先輩に撮っていただいたんですが、実は僕自身は特撮の撮影現場には行かないんですよ。こんなに ウルトラマンや怪獣が好きなのに、実際にウ ルトラマンや怪獣に会えないんでとても寂しいんです(笑)。

 

映画の見所としては、ウ ルトラマンが45年前に敗れ去ったゼットンという怪獣がいて、最後の最後でウルトラ マ ンはこのゼットンに殺されたんですが、この怪獣がリメイクされて、「ハイパ ーゼットン」となって登場するんです。

 

サ ーガも従来のドラマを越えたデザ イ ンで、ハイパーウルトラマンなので、ハイパーゼットンと、ハイパーウルトラマンとの戦いは見所ですし、今までの ウルトラマンにはなかった部分もた<さんあるで、是非皆さんには見ていただきたいと思います。

 

それからもうーつ、この映画を作り始めてすぐの時に、東日本大震災があ りました。地球を舞台にしたドラマを 作る予定だったのですが、時代的にビルを壊したりする内容のドラマを作っていいのかという話し合いが行われました。

 

この時に、不幸に直面している世の中や、被害にあわれた人たちの支えになったり、勇気付けになるようなものを作りたいという思いをテーマに、 ウルトラマンらしさを保ちながら、人々 の心に届くような内容の映画を作りました。元気を出してもらえるように、たくさん笑いも散りばめました。

 

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