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デジタル版・新聞

インタビュー

映画監督 おかひでき さん

子供のころからウルトラマンをはじめヒーロー番組が大好きで、中学時代 に映画を作る人になると決意。高校時代には自主映画を作り、後にその作品 が8ミリフィルムコンテストで特別賞を受賞する。自分の道はこの世界しかな いと、映像の世界で助監督として修行を積み、テレピシリーズの『魔弾戦士リュケンドー』で今から5年前に監督としてデピュー。その後数々の作品に携わ った後、円谷プロダクションのDVD映像 『ウルトラマンゼロVSダークロプス ゼロ』を監督後、ハワイ国際映画祭出品作品でもある「ウルトラマンサーガ」で 初の映画監督デビューを飾る。

取材 ・ 文:ケイコ ・ ジョンソン

 

 

ウルトラマンを愛した空想好きの少年が、45年の歳月を経て、映画監督としてウルトラマンを世界に送り出す

 

 

ウルトラマンと共に育った幼少時代、僕の人生は既にそのころ決まっていたのかも知れない

気がついたらウルトラマンがいたんです。というのも昭和41 年デビューのウルトラマンとは同い年で、僕が生まれた時にはウルトラマンは既にこの世に存在していたんですね。なので記憶の一番古い風景のなかに、ウルトラマンが常にいたんです。

 

色々な場面でウルトラマンを感じながら大きくなりました。たとえばおもちゃ類です。たくさん買ってもらえるような裕福な家じゃなかったのですが、 2~3才年上のいとこがいて、彼らもまさにウルトラマンの魅力に直撃した世代だったので、たくさんの人形や プロマイドを持っていました。

 

彼らが小学 校へ上がる時に、いらなくなったウルトラマングッズを大量に貰ったのですが、その大量のウルトラマンのお下がりが、僕の人生を決めたんだと思います。今でも実家に全部残してあります。 あの時代はウルトラマン以外の変身ヒーロー番組が毎日のように放送されていましたね。

 

実写だけでなくマシンガーゼットや ガンダムなどのハイティ 一ン向けのア二メーションの作品が増えてきて、どんどん 高度化していった時代でした。僕やそれより少し上の世代の人たちは、子供向け番組 が、徐々にハイティーン向け番組に進化して行く過程というか歴史を体感している時代なんですよね。

 

そういう中でアニメーショ ンはどんどん高度になって面白くなっているのに、どうして特撮ヒ一ロー物は進化しないんだるうという思いはありました。それ以前に特撮番組そのものが作られなくなってきていました。

 

特撮番組のピークは昭和49年あたりの、オイルショックの年を境に少なくなっていき、代わりにアクションを主流にした低予算で作れる番組が多くなり、手間や予算のかかる特撮物を作るのが難しい時代になってきたんでしょうね。

 

とはいえ、子供のころは全てのヒーロー物が好きだったので、テレビで放送されているヒヒーロー番組やアニメーションはほとんど全て見ていました。 テ レビを見るのも好きだったのですが、自分で空想するのが好きな子供でした。

 

夜ベッドに入って目をつむると、頭の中にいろ んなシーンが沸いてくるんです。ある時は寝ていたベッドがイカダに変わって海流に乗って未知の島に流れ着くんです。抱えてる枕は相棒の熊のキャラクターになっていたり。そんな空想癖のある子供だったんで、夜はなかなか寝れなかったんです(笑)。

 

ただ子供のころは、空想の世界を楽しんでいただけで、今のような仕事に繋がるとは思っていませんでした。

 

 

中一の夏に見た「スターウォーズ」が人生を変えた

幼稚園のこるは、外国航路の船長さんになるといっていました(笑)ただこれは、周りの友達がパイロットになりたいというのに対抗したものでしたね。その後は、よくある プロ野球選手。

 

そして歴史の先生になりたいと思ったこともありました。歴史に出てくるキャラクターや物語が、ヒ一ロー物みたいで好きだったんですよね。なので実際には、何になりたいかはよくわからなかったんです。

 

ただその後、中学l年生の夏に見た映画「スターウォ ー ズ」で僕の人生は変わ りました。 この映画を見た後に、何もかもがクリア ーになり、こういうものが作りたい、こういう世界が作りたいって確信したんです。

 

映画って言うのは1本1本が独立した世界というか、ユニバースで、2時間しか存在しない別 な次元にあるお話なんです。その別の次元に本当に存在しているお話を、こっちの次元に引っ張りだすのが映画なんじゃないかと思ったんです。

 

世界レベルで見たら、スター ウォ ーズは僕みたいな子供をいっぱい作った罪作りな映画だったと思います(笑)。 この後は、まず自分でシノプシスを書いたりデザインを始めたり、8ミリカメラを手に入れて撮影をしてみたり、ミニチュアを作 って特撮をしてみたりはしたんですが、中学 時代は作品として明確なものは出来上がりませんでした。

 

1つの作品として出来上が ったのは、後に高校に入ってからのことです。高校時代に文化祭の上映用に作った作 品で、特撮を使ったオリジナルのヒ一ロ一物で、「学園セブン」って言う、ウルトラマンセブンのパロディー版を撮影しました。

 

内容としては、学校の中だけに存在する宇宙から来たスーパーヒーローで、続いているストーリーの最終回という設定でした。最初は友達に役を演じてもらうつもりでしたが、恥ずかしがって逃げちゃったので、結局自分でやることになりました。

 

主役のヒーローとヒロイン、一人二役です。合成を使ったりして撮影をしたのですが、男役と女役が一緒じゃないかって、観客には途 中で気付いて笑ってもらえればいいな~って思っていました。出来上がった作品は文 化祭で上映し、大勢の人に見てもらって笑 ってもらいました。

 

この後、大阪芸大に進学してすぐのころ、兵庫県の伊丹市にある伊丹グリーン劇場という映画館で、特撮を使った8ミリフィルムのコンテストがありました。それにこの「学園セブン」を応募したら、なんと特別賞 をいただき、映画館の大きなスクリーンで 自分の撮影した8ミリ映画を上映してもらいました。見に来てくれたお客さんには大笑いしていただきました。

 

大学時代はとにかく自 主作品を作りました。それが学校の課題でもありましたからね。課題以外にも 自分たちでたくさんの作品 を作りました。勉強の一環といえば聞こえはいいですが、ただ好きなことをして遊んでいるようなものでした。

 

一緒に自主制作の作 品を作った仲間のうち、何人かがプロの道に進み、今 でも仕事上で付き合いの ある大切な仲間となりました。 また、自分がプロになってから大変なことがたくさんありましたが、アマチュア 時代に作った作品を振り返り、少なくともこういうものが撮れたんだと思うことで、自分自身の支えにする事も出来ました。

 

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