涙なしでは見られないステージ
Being II – ハワイスタイル開催後記
11月18日にハワイシアタ ーで開催された、東日本大 震災のためのチャリティーコ ン ートBeing II ーハワイスタイル-は、日本領事館、 日米協会、ハワイシアター後 援のもと開催された。
開演と同時に行われた、 Kahu Ronald Chingのハワイアンチャントでは、東日 本大震災で犠牲になった人々への追悼と、今もなお不便な生活を強いられている方々への激励の祈りで、会場全体を厳粛なムードに包み込んだ。
Kanoe Cazimeroのフラパフォーマン スは、美しいハワイの風景をバックに、3曲が披露された。Kenny Endoによるソロの大太鼓では、掛け声と太鼓の音色が会場 内に響き渡り、太鼓の芸術性を堪能できる演目となった。
その後に行われた太鼓ア ンサンブルでは、 Kenny Endoをセンター に15名のプレーヤーと共に“竜巻”が演奏 された。大小さまざまな太鼓で奏でられた演目は、まさに竜巻を連想させる迫力の演奏となった。
Takamasa Yamamura によるイタリアンカンツォーネは、透き通ったテノールの歌声が場内を魅了した。Liza SimonのポエムとKeiko Fujii振付のダン スパフォーマンがコラポした、ChoreoPoemでは、もの悲しいポエムと共に、 Keiko Fujiiダンスカンパニーのダンサ ーが、ポエムにあわせたダンスを披露し、 一つの新しい芸術の形をつくりだした。
そして、今回のコンサートのメインでも ある、Keiko Fujiiダンスカンパニーのパフォーマンスでは、まず始めにステージの背後全体に東北の美しい風景写真がいく枚も映し出された。
のどかな田園や活 気溢れる漁業の風景、子供たちの無邪気な笑顔や祭りに盛り上がり人々、写真の中の誰もが、あの悲惨な震災が起こることを、いささかも予想だにしていなかったで あろう。そして突然の地 震。
ダンサーが逃げ惑う人々の姿を演じ、場内に 緊迫感が溢れたその時、 津波の写真が何枚も映し 出された。一瞬にして人々から全てを奪い、多くの犠牲者を出した大災害。同時に人々の笑顔すら奪い去った。
のど かな風景の変わりに変わり果てた町並 み、泣き叫ぶ人々、途方にくれる子供たち、原発におびえながら生活を強いられ る被災者、そしてそこにいるはずの人たち がいない空間だけが取り残された。 2曲目は、人々の涙と坊復う魂をテーマ に、魂の安眠と、人々の心の平和を祈るダ ンスが繰り広げられた。
3曲目は、Keiko Fujiiのソロダンス「Now We Are Free」が披露された。最後の演目は、 「生きる」をテーマに、背後に映し出された写真には、人々の笑顔が戻り、あの悲惨な震 災を忘れたわけではないが、前を向いて 進んで行こうとする人々の力強さ、生命力溢れる姿があり、生きることへのメッセー ジを込めたダンスパフォーマンスが披露 され、大きな拍手と共に幕を閉じた。
途中会場内では、人々のすすり泣く声 があちこちから聞こえてきたが、最後に は、被災した人々の前向きな姿勢から勇気を貰う形となり`終幕後にホールに置かれた募金箱には、コンサートに訪れた多くの人々の善意の寄付が寄せられた。 このチャリティーコンサートによる全て の収益金は”Rainbow for Japan Kids” に送られる。
Keiko Fujii プロフィール
兵庫県生まれ。4歳よりモダンバレエを習い始める。小学校5年生 より振付をはじめ、中学時代にモダンダンス、ジャズダンスを始め る。教育大学に進み、いったんは公立学校の教師になるが、ハワイ でのダンスレッスンを経験後、教職を退識し、ハワイにダンス留学 をする。帰国後、スタジオKを設立し、同時期にケイコフジイダンス カンパニーを結成。その後精力的に、海外での公演やワークショッ プを行い、大きな評価を得る。2008年6月より、ハワイ大学のダン ス&シアター科で教鞭をとり始める。ニューヨ ークのマリアナ・ベッ カーマン ダンスカンパニーで振付師兼講師としても活躍し、現在 は主に、日本とニューヨーク、ハワイを拠点に活動をする。
(日刊サン 2012.11.24)