2016年リオデジャネイロオリンピックで、アメリカの競泳メダル獲得数は33個で世界1位。2位のオーストラリアは合計10個と歴然の差であり、アメリカは競泳強豪国であることを物語っている。そして、ハワイ出身のオリンピック競泳選手と言ってすぐ思いつくのはデューク・カハナモク選手だろう。それから幾人もの選手がハワイから輩出されたが、1976年以降は出ていないというのが現実だ。ところが、今、「ハワイの水泳界にすごい少女がいる」という情報が舞い込んだのだ。エレナ・タナカさん12歳。競泳では不利な矮小な体格でありながら、そんなハンディを全く感じさせないほどパワフルに泳ぎ、圧倒的な強さを見せる。2020年東京オリンピック出場も夢じゃない!そんな大きな希望を与えてくれる彼女に、日刊サンが独占インタビューを行った。
1年半で全泳ぎをマスターし、 競泳の世界へ
「もう私が教えられることはありません」とスイミングコーチに告げられたのが、7歳の時。6歳から通い始めたYMCAのスイングクラスを1年半で全てマスターしてしまったエレナ・タナカさん。さらに、コーチがクラスの最後に「競争しよう!」と生徒たちを泳がせたら、エレナさんがダントツ1位でゴールし、両親も驚いたという。
それからコーチは、「エレナは、バタフライがとても得意なお子さんです。(才能をのばすためにも)スイミングクラブにいれてはいかがですか?」と薦めてきた。ここからエレナさんの競泳生活が本格始動したのだ。
大会初出場で組予選1位、ところが・・
現在プラホウスクール7年生のエレナさんが、競泳を初めて4年。獲得したメダルの数は、ゆうに200個を超えていると言う。ちょうど2年生の終わりに、YMCAのスイミングクラスを卒業し、そこでお父さんがインターネットで「プナホウ・アクアティック(以後PAQ)」というスイミングクラブを見つけた。てっきり学校が運営していると思い、ちょうど娘が通っている学校でもあるし都合が良いと考え、クラブのコーチに話しを聞きに行ったのだ。すると、このクラブは学校とは別の団体が運営しているクラブであることが判明。また、8歳以上でないと入会できないことがわかった。その時まだ7歳だったエレナさんは、数ヶ月待ち8歳になったと同時に、このクラブに入会したのである。
そして、入ってすぐ2012年の7月に人生初の大会に出場。25ヤードのバタフライと50ヤードのフリースタイルの2種目で、なんとバタフライでは初出場でありながら組予選1位という快挙を成し遂げたのである。
ところが、まさかの「失格」。ゴール時に両手でタッチをしないといけなかったのを、片手でしかタッチしなかったのが理由と伝えられた。実は、エレナさん、競泳のルールを全く知らないで大会に出場したのだ。それから、競泳のルールをまず学びながら泳ぎの特訓をしていった。
才能開花のきっかけは「子守り」?!
カリフォルニア出身の日系人の父と日本出身の母の間に生まれたエレナさん。生まれて4ヶ月の時、お父さんの誕生日でワイキキのホテルに宿泊した時初めてビキニを購入し、プールにいれてみた。すると、その後次の日の朝までぐっすりと眠ってくれた。「これはいい!」と思い、それから毎日お父さんは仕事終わりにプールに連れていき、30分遊ばせるとやはりその後はぐっすり眠ってくれたので、すっかりこれがルーティーンになったのだと言う。親からすれば、子供を寝かしつける最良な方法であっただけなのが、エレナさんの持っていた才能を開花する引き金になるとは夢にも思わなかった。実のところ、お父さんはほとんどカナヅチだという。成長するにつれ、エレナさんが「あっちの深い方にいってみたい!」というのも「いや、そっちは危ないからこっちにいなさい」と、行かせないようにしていた。そして、お母さんが「せっかくハワイに住んでいるのだから、泳げた方が良いだろう」と思い、YMCAのスイミングスクールに通わせたのが元々のきっかけだ。
もっと速く泳げるようになりたい!
PAQに通い始めてメキメキと力をつけ、やはり特に「バタフライ」で頭角を現し、ハワイの競泳界で「エレナ・タナカ」の名が知れ渡るようになった。カナヅチのお父さんも、娘を応援するために、必死にYoutubeや本で水泳のことを勉強し、いまや「コーチ以上のコーチ」とまで言われるほど競泳に精通。そして、娘が「もっと速く泳げるようになりたい!」という意欲があるのを汲み取った両親は、PAQとは別のスイミングクラブを探し始めた。そこで、カメハメハスクールのスミングクラブがハワイ最大で、良いプログラムを提供していると聞きつけ、話しを聞きに行った。しかし、どうあってもスケジュールが合わず、お母さんは「このスケジュールだと送り迎えが難しい」と話す。どうしてもそのクラブに行かせたかったお父さんは怒り、「だったら君が良いコーチを探しなさい!」と喧嘩になったのだと言う。そこから、必死に探し、ハワイスイミングクラブ(以後HSC)に、コーチカツという日本人の素晴らしいコーチがいると、水泳仲間のお母さんから教えてもらったのだ。
コーチカツとの出会いで、3つの歯車合致
88年ソウルオリンピック背泳ぎ金メダリストである鈴木大地選手らとともに、自身もオリンピック選手を目指していたというコーチカツ。残念ながらその夢は破れるが、その後コーチ業に専念し、自分が果たせなかった分「オリンピック選手輩出」することを志し、日本、グアム、ハワイで多くの水泳選手を育成してきている。日本の競泳の厳しい特訓を乗り越えてきたコーチの考え方に、あれだけカメハメハに行かせたがっていたお父さんも深く感銘し、そこに通わせることに決めた。ここで、“エレナさんのやる気”と、“両親の娘を支えようという真剣な思い”と、”一流の選手を育てようという熱血コーチ”の3つの歯車が合致。エレナさんのさらなる快進撃が始まった。
「必ずチーム優勝に導きます!」と宣言
コーチカツは、エレナさんの年齢ではあえて一つの泳ぎに絞るのではなく、すべての競技ができるようにという特訓から始め、その通りエレナさんは「オールマイティ」の選手へと成長した。コーチ曰く「とてものみこみが早く、根性のある子」だと言う。
そして、コーチカツの元で訓練を受けはじめた年2014年7月の大会で、8種目出場し、全て上位3位内に入賞。10歳以下の部門で最優秀選手に輝いた。競泳の世界では、各選手の成績がポイント制となっており、参加競技ごとの順位でポイントがつき、最後合計ポイントで最優秀選手が決まる。さらには、選手全員のポイントを合算して、チームの合計ポイントで最優秀チームを決めるチーム対抗戦にもなっている。
この時エレナさんは、合計72ポイントを獲得し、2位の選手は61ポイントと大きなひらきをもって1位になったのだ。
また、同年には41st Annual Coach Soichi Sakamoto Memorial Invitational Swim Meetでも、10歳以下の部門で1位となり、開催地のマウイ郡政府より表彰されている。
それから、2016年7月に開催された68th Annual Keo Nakama Invitational では、「必ずチームを優勝に導きます!」とコーチ陣に宣言したというエレナさん。
11〜12歳部門で13種目出場し、66ポイント獲得して個人で見事1位になった。さらに、彼女が所属するハワイスイミングクラブも、17チーム中1399.5ポイントでチーム総合優勝を決めた。しかも、2位はあのハワイ最強クラブと言われたカメハメハスイムクラブで、1033ポイントと圧勝したのだ。まさに有言実行のエレナさんに、チームを代表して大きなトロフィーが手渡された。
米北西部の大会で6種目1位を獲得
そして、数多の水泳選手を育ててきたコーチカツですらも「こんな生徒は初めてです」と言わしめた大会がある。2016年3月にシアトルで開催された水泳大会で、アラスカ、モンタナ、アイダホ、オレゴン、カリフォルニア、コロラド、そしてハワイとアメリカ北西部から強豪選手が参加する大会だ。まず6種目参加し、その6種目全て予選通過しただけでもすごいのに、なんと全種目で1位をとったのだ。
この時のエレナさんのモチベーションは何だったのかと言うと、予選1位の選手に与えられる「アヒルの人形」だったのだそうだ。かわいいアヒルの人形がもらえるとわかった瞬間に、お父さんに「私、これ集める!」と言って、本当に6個集めてしまい、それだけにとどまらず、決勝1位のメダル6個も獲得をして、皆をあっと驚かせた。シャイで照れ屋なエレナさんは、物静かな少女だが、この時の試合は自分の中でも、良い泳ぎができたと思える試合だったようで、中でも、100M個人メドレーのファイナルの模様の動画を見て欲しいと見せてくれた。まさに文字通り「ぶっちぎり」の1位でゴールしたエレナさんの泳ぎが目の前にあった。
もう一つのドラマ
この大会にはもう一つのストーリーがあった。エレナさんには、別のスイミングクラブに所属する同じ歳のライバル選手がいる。そのライバル選手とバタフライで争い、僅差で彼女の方が速くゴールにタッチしたのだ。ところが、「失格」となり、エレナさんが1位となった。でも、エレナさんは、絶対彼女の方が速かったと主張したので、お父さんが動画で確認。娘の言う通りだと、その動画をライバル選手の親に渡し、「この動画を審査委員に見せて抗議した方がよい」と助言した。しかし、結局スタート時に静止しないといけないのを動いていた、という理由で、やはり「失格」となり、エレナさんの1位が決定となったのだ。そのやりとりを偶然見ていた男性が、「なぜそんなことをするのですか?黙っていれば、あなたの娘は1位になれるのに」と声をかけられたという。確かにそうだが、娘が「彼女の方が速かった」と主張するのだから、1位を取ることよりも、その娘の主張を尊重し、援護してあげることの方が大事だと思ったのだと、両親は男性に答えた。
ただ速く泳いで1位をとったわけではなく、こんなドラマを経ての1位獲得は11歳のエレナさんにとって人としての成長の機会も与えてくれているようだ。
戦いは正々堂々と!
このエピソードからもわかるように、エレナさんは「曲がった事が大嫌い」。よく他の選手達がズルをすると怒るという。自分は正々堂々と戦っているという自負があるのだ。でも、コーチには「周りのことは放っておけ。お前はとにかく泳げ」とアドバイスをされるのだと言う。また、お父さんが、エレナさんを鼓舞するために、これはいいと思った格言を家の壁にいくつも貼っている。その中で一番好きな格言はどれか尋ねると、「Don’t let the distractions distract you」だと答えた。これからも”周りに振り回されず、自分のやるべきことをやろう”という意思を感じる。
水泳禁止が罰?!
「洗濯物をたたまないなら、今日は水泳禁止!」と、普通の家庭ではちょっと考えられない罰則があるタナカ家。エレナさんにとって「泳げない」ことが何よりも辛い罰なのだという。今は、PAQとHSC両クラブ掛け持ちで、毎日学校が終わったらPAQで2時間練習し、その後カイムキのプールに移動し、HSCで2時間計4時間泳いでいる。距離にして1万メートル以上泳いでいることになる。もちろん学生なので家に帰ったら宿題が待っている。それでも「全く疲れないです」というエレナさん。ホリデーシーズンでクラブは休みでも、自主練も欠かさないほど、とにかく泳ぐことが大好き。平日は練習、週末は大会の生活で毎日が忙しく、たまにある休みの日は「何もしない」のだと言う。水泳外の趣味は、ネイルやお菓子つくり。そして、探偵物の本やドラマが大好きで、日本の「サスペンス劇場」シリーズもよく見ているのだそうだ。
気持ちの切り替えの天才
これほど水泳一筋で、泳ぐこと大好きなエレナさんでも、もちろん大会本番「嫌になる」こともあるという。2016年11月の大会では、「出るの辞める!」と言い出すほど極限状態にきていた。両親は、「あなたがそれでいいのなら」とあえて無理矢理出場させようとはさせなかった。ところが、その直後彼女は、パッと気持ちを切り替え出場を決意。そして、その時もバタフライで1位になり、しかも自己最高記録を叩きだしたのだ。一体どうやって気持ちを切り替えたのか?と聞くと、「速く泳げば、その分早く家に帰れる」と思ったのだと言う。
悔しさをバネにして、記録を更新
自分が納得行かない泳ぎをすると毎回悔し泣きをする。そんな時はコーチも両親もあえて何も口を出さず放っておくのだという。エレナさんは、一人になって気持ちの整理をする。そして、そういうことがあった次の大会では必ず記録を更新させるというのだ。つまり、「悔しさをバネにする力」が彼女には備わっている。こればかりは親が言ってどうにかなるものでもなく、反対に両親も感心するほどの、精神力の強さをもっている。確かに、もの静かでありながら、彼女の内から滲み出るエネルギーは、物事に動じない芯の強さを感じさせるものである。
また、活躍する競泳選手といえば、スラッと背の高い人を想像すると思うが、エレナさんに会った瞬間、とても小柄なのに驚く。実際大会でも、年齢別で戦うわけだが、同じ歳でも、見上げるほど背の高い選手ばかりが周りに揃う。だから、自分のハンディをわかっている分皆の倍以上のストロークをして泳ぎ、いつも上位入賞を決めるのだ。
常にベストな自分でいたい
目標とする選手はいるか尋ねると、「私は常にベストな自分でいられるようにしたいです」という答えが返ってきた。 毎回の大会で、前回より上回る自分でいたい、毎回が「今日がベストな泳ぎだった」と言えるような自分でいたいのだ。その意気込みで毎日の練習をどれだけ真剣に行っているのかが察せるし、また、まるで自分の最大の敵は自分であることを悟っているかのようだ。恥ずかしそうにしてほとんど喋らない彼女だが、時々ポツリと発する言葉は、大人も唸らせるものばかりだ。
2020年の東京オリンピックも夢じゃない!
エレナさんの将来の夢は2つある。一つは「医者」。何科の医者かはまだ決めていないそう。そして、もう一つが「オリンピック選手」。もちろん2020年の東京オリンピックも範疇にはいっている。4年後でもまだ彼女は16歳なので、米国籍と日本国籍両方保持することになり、「日本代表としてでることも可能だね」と冗談まじりに家族で話しているという。
そして、12歳になったエレナさんは、いよいよ12歳〜19歳枠で大会に出場できるようになる。今までは小学生の選手の間で誰が速いか、という競争だったのが、今度は自分より年上で、体格も大きい高校生も自分の競争相手となり、「本当の自分の実力」が見られるようになるから、とても楽しみだという。
そして、オリンピックの水泳では、年齢制限もなく、とにかく記録が速ければ何歳でも選手になれる。つまり、次のオリンピックでエレナさんが代表になるチャンスは充分ありえるのだ。
2020年東京オリンピック、水泳アメリカ代表エレナ・タナカは、ハワイ出身だと皆で自慢できる日が来ると信じて、全力で応援をしていきたい。
インタビューアー: Miki Cabatbat