現役最古参女子プロレスラーでタレントのジャガー横田さん。42歳でドクターと結婚し、究極の勝ち組結婚と騒がれ、その後子宮筋腫摘出の手術を経て、45歳で高齢出産をここハワイで果たすも、3ヵ月後には女子プロに復帰。現在51歳で第2子の出産を望み、不妊治療を続けている。高齢出産を望む多くの女性たちに勇気と希望を与える存在でもあり、8月9日には、サウンディングジョイ主催の、ハワイのチャリティートークライブに出演。
ライター:ケイコ・ジョンソン
可能性が0.1%でもある限りあきらめちゃいけない
プロレスの世界に入ったきっかけ
15歳で、プロレスという非凡で、未知の世界に飛び込んだ理由の一つとして、私は4人姉妹の末っ子で、3人の姉のうち上の2人は私が中学のときに結婚していて子供がいたんですね。それを見て、結婚して所帯を持つのは大変だなっていうのを子供ながらに見てて、私はこうはなりたくないなって言うのがあったんですね。
それから誰もがいけないような世界に入りたいって言うのもあって飛び込んだ世界です。もちろん親の負担を軽くするって言うこともありました。ものすごい貧乏って言うわけでもなかったのですが、当時親が昼夜働いてたんで、負担がかからないようにするのが一番だなって、私が一人いなくなることによって、ちよっとは楽になるのかなって思ったんですよ。
最初は卓球で高校の推薦が決まっていたんですが、当時卓球にはプロがなかったんです。もし卓球をやっていたら、年代は違うけれども福原愛ちゃんとライバルになってたかも知れませんね(笑)。
だからプロレスの世界に入ったのは憧れとかではなく、少ない選択肢の中から選んだ現実なんですよ。そういう気持ちで飛び込んだ世界なので、この世界で生きて行くって言う姿勢で入ったんです。 プロになるまではトレーニングが仕事ですからね、朝、昼、晩に分けて、一日8時間の練習をしてました。
ただそのトレーニングが苦しかったかとか、人間関係が辛かったとかは、思わないようにしようという意識が強かったんです。もちるん他人同士の集まりですから大変だったのかも知れないんですけれど、基本的に思わないようにしていたので、自分の中ではそれほど苦労した覚えがないんですね。
最初のうちはすべてが当たり前だったので、嫌と思ってやるんじゃなくて、残るためには当たり前と思ってやろうと、15歳の時に思ってやってたんです。だから今振り返ってみても、辛いと印象に残ってることがそんなにないんです。
いくつものタイトルを取った 女子プロ時代
負けたら残れない時代だったんですね。選手寿命も長くて10年ですからね。当時は年間300という試合をこなしていて、相当体力がないとできない世界だったんです。なので与えられたチャンスを物にしなければ、生き残れない厳しい時代だったんですね。
女子プロが人気のあった時代でもあったので、そういう中で負けたら終わるという、常に崖っぷちに立たされたような気持ちが勝利に繋がってきたんでしょうし、勝負に対してだけではなく、あきらめない気持ちが全てに繋がってきたんだと思います。
50年生きてきた人生の中でも、あきらめない気持ちが、今でもいろんなことに繋がってきているって言うことは間違いないんです。
今でも現役を続けている理由
怪我をしたりとか、後輩に道を譲るために2回ほど引退をしましたけれど、やはりプロレスが私の人生の全てだなって、プロレスをしないのは私が私でないような気がしたんですね。復帰したいからできる時代でないときもあったんですが、チャンスがあったので復帰しました。
今は週に 1回試合をするかしないかくらいです。練習も昔ほどトレーニングをしていないので、調整程度ですね。ただ試合があきすぎてもきつくなってしまうので、月に2回から5回程度は試合に出ています。
日本発の、還暦でリングに上がれたら嬉しいなと思ってます。アメリカの選手ではいるんですよ、とはいっても記念の試合にしか出なかったりでしょうけどね。後9年がんばりたいです。
普通の若い人の9年はそんなに長くないでしょうけれども、私の9年はとても長いでしょうし、どういう状態になるかわからないですけれども、そういう目標を持っていてちょうどいいと思っているんです。目標を持つことが、老いを遅くするって言うか、精心的にも肉体的にも、私のエネルギー源になるので、続けるべきだと思ってます。
だから主人も反対しないんだと思います。私のプロレスに対する姿勢とか、続けていることで元気でいられるこを主人は見ているので、 「やめたらストレス溜まるんだろう」っていう風に思ってるんでしょうね。ストレスのはけ口が自分にきたら困るって言うのもあるんでしょうね(笑)