グループ・サウンズ時代に一世を風靡したザ・ワイルドワンズが、1月13日にハワイで東日本大震災チャリティーライブを開催しました。このコンサートの収益は、リーダーの加瀬邦彦さんが発起人となり、立ち上げたOTONOWAプロジェクトを通じて、被災地三県(岩手・宮城・福島)に所在する児童養護施設19箇所にカシオのキーボードを贈ることに全て使われます。結成45年、変わらぬ魅力でハワイを熱狂させたザ・ワイルドワンズにお話を伺いました。
ライター:相原光
音楽は社会を変える力がある
みんな抽選に当たってメンバーになりました
-皆さんデビュー当時と変わっていらっし ゃらないですね。
加瀬
「変わりましたよ、デビューしてからも う45年ですから」
植田
「デビ ュー当時の平均年齢は18.7歳くらいでしたが、今は66歳くらい。リーダー は古希(こき)です」
-加瀬さんが音楽の道に進んだのは加山 雄三さんの影響と伺ったのですが。
加瀬
「そうです、ふたりともまだアマチュアの 頃に、加山雄三さんか らギターを教わりました。加山さんは学校の 先輩で茅ヶ崎に住ん でいて近所でしたか ら。当時はビートルズやビーチボーイズに憧れていました」
-加瀬さんは涛内たけしとブルージ一ンズ」に加入後、バンドを脱走されたという 噂を耳にしたのですが。
加瀬
「寺内たけしとブルージ一ンズ時代 に、ビートルズが来日することになり、前座 として共演できることになったんです。ビー 卜ルズの大ファンだったのでとても嬉しか ったのですが、警備がものすごく厳しい。前座が演奏し終わったら外から鍵をかけて、 ビートルズの演奏が終って彼らが武道館から出たら鍵を開けるというんです。これでは ビートルズを見れないわけですよ。それなら バンドを辞めて観客として見た方がいいと 思い、それでビートルズの公演の一ヶ月前 に辞めてしまったんです。ビートルズは客席 から無事に見ることができました」
-ザ・ワイルドワンズはどういうきっかけ で始めたのですか?
加瀬
「ブルージ一ンズを辞めてからも、事務 所から給料を頂いていたので、それならバ ンドでも作ろうかなと思い、それで作ったの がザ・ワイルドワンズです。オーデイションや紹介などを通じてメンバーを探して。みんな抽選に当たってメンバーになりました」
ー同(笑)
-イメージとしては、スパイダースが割と コメディっぽいバンドで、ワイルドワンズは 二枚目が揃っているという感じだったので すが、とっても皆様ひょうきんというか。最 初からこんな感じだったのですか?
加瀬
「最初はそうでもなかったのですが、そ うなっちゃったんですよ。再結成してからここ20年くらいはドリフターズ並みですね(笑)」
-デビューは1966年ですね。当時はものすごくモテたでしょう?
加瀬
「そうでもないですよ。あまり外に出ら れなかったし。外に出ると女の子がタクシ ーで追いかけてきたりということはありましたね」
-デビュー曲の「想い出の渚」はとても印象 的でした。特に鳥塚さんの歌が素敵で。ワイルドワンズの曲はわりと明るいですよね
加瀬
「そうですね、僕の曲は明るいですね」
鳥塚
「明るい中に哀愁があるというところ でしょうか」
-作詞は鳥塚さんですが、どこで着想を得 たのでしょうか?
鳥塚
「あの曲ができる前、6月にバンドを結成したのですが、8月頃に葉 山マリーナで合宿兼演 奏をしていたんです。きれ いなプールがあって、そのプールサイドで一日に3回ライブをやって、あとは練習するという2週間ほどの仕事でした。当時の葉山マリーナ といえば、若い人の憧れの場所でしたから、 すごく可愛い子がたくさん来ていて、我々は 18·19歳の頃ですから女の子に目が行ってしまい練習に身が入らなかったです(笑)。
その辺りの想い出を、パっと歌にできた ということでしょうかね。19歳であの体験をしたからこそ書けた曲かもしれません。リ ゾート地にいけば素敵な女性にめぐり合えるんじゃないかなという気持ちを抱いてい て。 「避暑地の出来事」という映画がありまして、海辺で知り合う男女の物語に憧れて いましてね。葉山に行けばそういうことがあるのではないかと思ったけれど、実際には なかったですね(笑)」
-植田さんは「青空のある限り」で、メインボーカルをとられています。あの曲で首を かしげて歌う姿がとっても素敵でした。
植田
「ありがとうこざいます。あれは自然に ああいうスタイルになってしまったんです。あ の頃はお手本やビデオなどの映像がない時代ですから、全部自分たちで想像してプレイ スタイルを作るしかなかったんです。ドラム で歌う人は当時日本にほとんどいなかった。
たまたまビートルズの写真が音楽雑誌 に載っていて、リンゴ・スターが横を向きながら歌っている写真があったんです。真似をして歌ってみたら最初は首が痛くなってしまいました。色々考えて、ジョイントがあるマイクを取り入れて歌いやすくなりました。あの頃はしよっちゅう手を怪我していましたね。
歌っているとドラムを見ながら叩けないから、リムなんかで ぶつけてしまう。 でも今考えるとすごく良かったですね。イマジネーションを広げて自分のプレイスタイル を作るというのは。今のように何でも揃って いるというわけではなかったけれど、その 方が楽しかったですね」
-島さんはどういういきさつでワイルドワンズに入られたのですか?
島
「僕の尊敬する先輩が加瀬さんの後輩 で、稲村ヶ崎の近所に住んでいたんです。僕 はベンチャーズや、加瀬さんが所属していた 「寺内たけしとブルージーンズ」のファンだ ったんですよ。エレキギターが大好きで、イ ンストルメンタルが大好きでした。
僕が受験に失敗して一年間どうしようか とフラフラしていた時に、その先輩に「お前そんなにギターばっかり弾いてるならプロにな っちゃえよ。実は加瀬邦彦さんが新しいバン ドを作ろうとしてメンバーを探しているんだよ。お前会ってみないか?」と誘われ、兄と一 緒に憧れの加瀬さんに会いに行きました。
東京に会いに行き憧れの加瀬さんと対面して“うわあ、これが加瀬さんか、いい靴履いて、いい服着てカッコいいなあ。これがス ターなんだ”と感激しました。面接の結 果、数日後に新宿御苑スタジオに行くこと になりました。 ス タジオに行って“先日お世話になりました島英二です。どうぞよろしくお願いします。"と言ったら、加瀬さんが“あ、君か?”と 答えたんですよ。
面接の時は兄がずっと喋 っていたんです。プロとはどんなものかと か、今後どんなことをやりたいかなど話して いたんですね。兄がずっと答えていて、僕は 聞いていただけだったのに、僕が来たので “ あれ?”となってしまったんです(笑)。そんなわけで、ついでに入ったようなものです」
加瀬
「弟が来たならそれでしょうがないか なと思って(笑)」
-選考基準に容姿は含まれていたんです か?
加瀬
「いやあ、容姿よりも、僕と雰囲気が合 う人というのがありましたね。100人以上会っていたので、直感で決めました。演奏も聴かずに決めてしまったりしました」
島
「僕が行った時は、ドラムとリードギター が決まっているのでベース担当と言われた のですが、僕はベ一スを弾いたことがなか ったんですよ。その頃は湘南地方でリード ギターばかりやっていたんです。
それがベー スと聞いで僕ベ一ス弾いたことないんですけど"と言ったら加瀬さんが、”大丈夫だよ、ベースというのはギターよりも弦が2本少ないから、できるよ”と言ったんです。それで 変な納得をしまして、よろしくお願いします となりました」
加瀬
「技術よりも人間的に合うかどうかの 方が大事だから。それ以外はこれから作っ ていけばいいわけだからね。ゼロからでも。人間的に合わなければ、いくら上手くてもやっばり上手くいかないと思います。だから45年も続いているんじゃないですかね」