映画『盆唄』、写真集『KIPUKA』、新刊『キプカへの旅』、絵本『ハワイ島のボンダンス』。一連の作品を通じて、ハワイと福島を盆唄が行ったり来たり。 その案内人を女流写真家・岩根 愛さんが担い、12年の歳月をかけて時空を超えた旅をした。 いつしか、岩根さん本人も盆唄に導かれ、輪の中で踊っていた――。
「わ! この曲、私知ってる!」
それまで輪の外で遠巻きにボンダンスを見ていた子どもたちが急に立ち上がり、小走りに輪の中に飛び込み、一心不乱に踊りはじめた。
写真家・岩根愛さんにとって「衝撃的」だったこの場面は2011年夏。マウイ島を訪ねたときの出来事だ。ボンダンスで生演奏された「フクシマオンド」が聞こえるや走り出し踊りはじめたのは、東日本大震災で甚大な被害を受け、帰還困難区域となった福島県双葉町の中高校生たち。
「もう盆踊りはできないと思っていたから、まさかハワイに来て踊れるとは思わなかった!」と息を切らしながら、心の底から盆踊りを楽しむ若者。どちらかといえば盆踊りなんて興味ないのでは? と見えた若い世代なのに、聴くだけで反射的に体が反応してしまう盆唄のパワーっていったいなに? このときを境に岩根さんは「フクシマオンド」のルーツである福島にぐいぐいと引き寄せられて、日系移民が辿ったのとは逆のルートで導かれていく。
ハワイと福島。2つの土地で踊る人々の姿を結び付けた映画『盆唄』(2018年公開)を企画、プロデュース。そして上梓した写真集『KIPUKA』(青幻舎)では第44回木村伊兵衛写真賞を受賞。この10月にホノルルでトークショーと映画上映を実施した写真家の岩根愛さんに、日刊サンが特別インタビュー。
日刊サン(以下サン)
10月3日にハワイ日本文化センターで開催された写真集『KIPUKA』のトークショー。そして、10月5日のホノルル美術館ドリス・デューク・シアターでの映画『盆唄』の上映とコンサート、どちらも拝見させていただきました。とにかく観客のハワイの方々の反応がものすごくよかったですね。皆さんそれこそ前のめりで。涙し、笑い、拍手喝采。トークショーでの質問も途切れることなく続いて。
岩根 愛さん(以下愛)
ありがとうございます。そうですね、じつは今回初めてアメリカの方々に映画をご覧いただきましたが、これまで上映したどの会場よりもお客さんの反応がよかった。2日目には映画にも登場したボンダンスでいつも会う方々も来場してくださり、上映の後にシアター内で観客の皆さんといっしょに踊ることもできました。
サン
トークショーでは写真集に収められたすべての写真のエピソード、映画につながるストーリーを詳しくご説明いただき、この壮大な活動の全体像をつかむことができました。
愛
私はこれまで写真を撮ったら放りっぱなしな性格で。じつは写真集を出すまで、自分の作品を振り返ったりすることがほとんどなかったのです。今回12年分、10万枚の写真を見直して、繰り返し私がなんでこんなことをやってきたのか、を見つめ直す機会ができました。
サン
この一連の写真を撮り始めたのは2006年。ハワイへは音楽のお仕事で訪れたとか。ハワイへは何度も来られていたのでしょうか?
愛
サザンオールスターズの撮影で、このときが初めてのハワイでした。すべての仕事が終わった後に、私だけで友人のいるハワイ島に渡りました。そこでハワイで一番古いお寺ハマクア浄土院に連れて行っていただいたのです。お寺の裏にポツンとあったお墓を見て、まず最初の衝撃を受けました。
100年以上前に日本からハワイに渡った方々のお墓は、文字も読めないほど朽ち果ててボロボロになっていた。じつは私、それまで日系移民の歴史とかまったく知らなくて。お墓を実際に目にし、そういう歴史を目の当たりにしたのはこのときが初めてで。とにかくすごいびっくりしたのです。
どうしてこんな山の中にこんなものがあるの? どうして? なんで? と。ここに眠る方々は遠く離れた故郷に家族を残し、新天地ハワイですべてを一から作り上げたのか、と。
サン
そこでスイッチが入ったというか、運命が変わったわけですよね。その時すぐに撮影を?
愛
いえ。その2か月後に「ボンダンスがあるから、また来ませんか?」とお話をいただき、それならいま90歳を超えている二世の方々に話を聞きたいな、写真を撮りたいな、と思って再びハワイに来ることにしたんです。生の「言葉」を聞くことができる最後の二世。
その婦人会の皆様の中に混ざり、ボンダンスの準備を手伝わせていただいた。朝4時から何度も何度もご飯を炊き、名物のきんぴらや白和えを作りながら、その会話がほんとに楽しくて。すごい苦労して早朝から準備した後に解放されて踊ったボンダンスが、とにかくとっても楽しくて。私もいっしょになって踊らせてもらいました。
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サン
最初にお墓を見て、ハワイで発展したボンダンスを知り、そしてハワイで福島との深いつながりを知る。さらにその後出会うパノラマ写真がまた、愛さんの運命を変えるわけですよね。
愛
はい。カウアイ島のバケーションレンタルで滞在した家で、大量のパノラマの写真を見せられました。宿主は私が写真家だと知ると、書庫の奥から箱に収められた巻物のように長い紙焼き写真を持ってきた。ひと目で昔のものとわかりましたが、長さが1メートル、それまで見たことがない写真でした。
そもそもどうやって撮ったのか。何枚も何枚も見ながらいろいろ考えを巡らせた。写っていたのはどれもお葬式の家族。みな眼光鋭く、意思の強さが伝わるものでした。そのお顔や目と会話をしたいと感じ、もっとこの写真やカメラを調べたいと思ったのです。
宿主は写真とは関係ない白人の方で、この家を買ったとき、あちこちにこのような写真が残されていた。「自分には不要だから持って行ってくれないか。持ち主が見つかったら渡してほしい」と言われてしまった。ですが、私にはそんな責任の重いことはできないと一枚だけ受け取り「手がかかりがつかめたらご連絡します」と残してその家を後にしました。
写真を調べるなら、と、ホノルルのハワイ日本文化センターでボランティアをしながら、資料写真をいろいろ掘り起こすと、当時のハワイではこの横長フィルムの白黒写真は結構多く撮られていて、それがコダックのサーカットというパノラマフィルム・カメラだとわかったんです。
サン
それが世界でも貴重な、回転する大判パノラマ・カメラだということですね。すぐに見つかったのでしょうか。
愛
ハワイのどこかにはあるだろうなと思ってたのですが、なかなか見つからなくて。でも、偶然のラハイナ浄土院・原源照先生との出会いから、ナガミネ写真館のハロルド・ナガミネさんのお孫さんのリックさんをご紹介いただき、その場でお借りすることができました。
日本に持ち帰り修理に1年。最終的にきちんと稼働するようにしてくださったのが福島県三春町の時計職人の方でした。現在は、三春町の廃校になった中学校でフィルムの現像をするようになるなど、ここでもハワイと福島の縁を感じています。
映画『盆唄』では愛さんによるパノラマ・カメラの撮影シーンも登場する。カメラを囲み、ぐるりと描かれた円の上に被写体が並ぶ。
「カメラは一周回ります。みなさんの前を通るとき写真を撮っていますので、カメラが前に来たらいい顔してください!」とハリのある通った声で愛さんが呼びかけると、三脚の上で古びた木製のカメラがゆっくり360度回転。こうやってパノラマ写真を撮っていた。「オッケーでーす!」の声と同時に拍手と歓声が上がった。