戦後70年の節目の年に永田町が憲法第9条の改憲をめぐってかつてないほど揺れている。日本国憲法はその前文で、平和の希求と諸国の公正と信義を信頼するとし、第9条で武力の放棄を謳っている。そのため自衛隊の存在は戦後常に、議論の的となってきた。四方を海に囲まれた海洋国である日本。そして今、尖閣問題や南シナ海領有権の問題など日本周辺の海上が騒がしい。わが国の平和と独立を70年間守ってきた当の自衛官たちの目には今何が映っているのだろうか?様々な階層の自衛官にその想いを聞いてみた。
練習艦隊司令部 首席幕僚
福山崇 一等海佐
太平洋の白波を切りながら圧倒的な存在感を示す海上自衛隊の3隻の艦。未来の海上自衛隊を背負って立つ実習幹部169名を乗せた「かしま」と「しまゆき」の2隻の練習艦と、実戦用の護衛艦「やまぎり」からなる練習艦隊だ。総員は約700名。6月2日にパールハーバーに寄港したこの3隻の艦の指揮を執るのが練習艦隊司令官であり、約60人の幕僚達が司令部として司令官直属に配置されている。その司令部を取りまとめているのが福山一等海佐だ。
被災地に一番に駆けつけ一番最後に任務を終えた艦
東日本大震災の際には、横須賀で護衛艦の艦長を務めていた。地震発生の一時間後には横須賀を出港し、津波警報が鳴り響き、何度も余震に襲われる中、真っ先に被災地にかけつけた。「地震が起こってから夏までの合計97日間、現場での捜索や福島原発の原子炉の給水支援など、一護衛艦としてできる支援は全てやり尽くしました。一番最初に出港し、護衛艦としては一番最後に任務を終えたのが私たちの艦です。」一番喜ばれたのは、被災者をボートで艦まで運び、風呂、洗濯と食事を支援したことだという。「艦もそんなに水があるわけではないので、夕方に支援が終わったら、錨をあげて沖に行き、造水装置で海水から真水をつくり朝帰ってきてボイラーでお湯を沸かす。それを一定の期間実施していました。」まさに不眠不休での作業。危険な作業も多かったはずだ。
命をはって任務を遂行するという宣誓が必要な職業
「我々は入隊時に『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め』と宣誓を行っています。その宣誓を行った上で自衛官として仕事をしていますので、それなりの覚悟を持って常に任務にあたっています。」海に囲まれた海洋国、日本。その最前線で日本の平和と独立を守っている海上自衛隊。戦後70年の平和が守られてきた裏には、自衛官たちの国を守るという強い覚悟を伴う宣誓があったのだ。この宣誓の持つ言葉の重みは、自衛官が常日頃から自らを厳しく律する姿勢にも繋がっている。
部下の命、国民の命を預かっているという責任の重さ
「自衛隊の中で上に立つということは、部下の命を預かるのはもちろん、国民の皆さんの命も預かっているということ。何か大きな作戦や任務の時にはその重さを改めて実感します。もし自分が失敗をすれば、外交問題に発展することだってありえるのですから。そういったプレッシャーに耐えうるように日ごろから厳しい鍛錬を行っているというのはありますね。例えば海自でいうとランニングや遠泳などだけでなくカッターという手漕ぎの大型ボートを漕いだり、山登りをしたり、身体にかなりの負荷がかかることを行うのですが、体力的に限界を感じる時に、それでもやらなければいけないという精神力が一緒に磨かれています。プライベートでも身体づくりは常に心がけていて、ハワイではパールハーバーからダイヤモンドヘッドまで約27キロほどを司令官以下幕僚達で走りました。」身体が資本である自衛官は、健康管理で悪い数値がでれば改善通告を受け、それでも改善されなければ乗艦することができないなどの影響がでるという。
司令官が自分の考えを部下に直接伝えていく時代
日本を取り巻く環境が変化してきている今、自衛隊も変わらなければならないという意識が組織の中で高まっている。「自衛隊はもちろん中央集権型の階層組織。上意下達は任務遂行において重要なことです。任務が多様化している現在では、これまで以上に部隊の中での情報共有が重要となってきています。昔は乗員の一人一人が司令官のようなトップの顔を見る機会はあまりありませんでしたが、今は違います。トップが現場に顔を出して自分の考えを伝えていく。一つのものごとは、1人で完結するものではありませんから、情報共有が上手くいっていないと部隊としては動かなくなります。共有化によりそれぞれの持ち場で各自が自分がすべきことを認識し、同じ目的意識を持つことでうまく結合してものごとが動いていく。常に意識しているのはチームとして能力を発揮するにはどうすべきかということです。」この遠洋航海中も、何も考えない時間はなかなかない。アイデアが浮かぶとすぐにメモをとる。「わが国周辺の環境を含め国際情勢は日々変わっています。昔のことをすべてそのまま使える時代ではありません。だから変えなければいけないところは変えるという考えも必要になります。」
レディネスは非情に厳しく―自衛隊の危機管理の強さ
失敗することが許されない自衛隊にはリスクに備えることがとても重要となる。「レディネスは非常に厳しく。それが我々の艦に必要なものです。起こる可能性のある予測見積を幾通りものケースを考え、それを訓練していく。実際には100%予測した通りに起こることは稀ですが、それでも部分的に使えるものを組み合わせて対応するので、事が起きても慌てずそれなりの対応ができるようになっています。また、何か起こった時に、その事例を部隊全体で情報共有する。どんなささいなことでも、同じ失敗は二度と起こさない。これが非常に重要なことです。」このようなリスクマネジメントの手法は一般の企業でも応用できるものだろう。集団的自衛権の問題などいろいろとあるが、「政治によって日本の進む方向が変わる可能性はありますが、私たちは入隊した頃から『我が国の平和と独立を守るために自衛隊はある』と教え込まれている。政治がどう判断しようと、それに対応できるよう我々は日々訓練し、やるべきことをやっていきます。」
上にいくほど自分自身を客観視することが必要
首席幕僚という司令官に次ぐ高い地位にいる福山一等海佐。それでもまだまだ学ぶことは多いという。「若い頃は、上司や先輩方から『お前、あれは違うよ』という指導を受けることができますが、だんだんそういうことを言われなくなる。自分ができる人間になったのかというと必ずしもそうではなく、周囲の人間は言いにくいから言わないだけなんです。そのことを自覚して、自分の学ぶべきことに気付いていけるよう、一つの手段として本は沢山読むようにしています。自分自身の気付きがないと成長できない。これは過去に先輩から教えていただいたことです。」現在の課題についても自身をこう分析する。「ちょっと離れた視点で自分を振り返ると、私は神経質なところがあり、かなり部下に対して口やかましく言っていることに気付きます。そのあたりは自分の未熟なところだと思っています。」
今の実習幹部はモチベーションが高く育てがいがある
細かいところに気が付くのは、それだけ周囲に対して目配り、気配りが効くということ。「私の仕事で重要なことの一つは、各人の能力を最大限に発揮させること。ほめれば伸びる人間もいれば、厳しくすると闘争心を燃やして成長する人間もいる。難しいことですが、批判的な目を捨て、愛情を持ってそれを見極めていくことが大切だと思います。司令官はそういうところがしっかりできる人です。」その点では私はまだまだですねと笑うが、その目には愛情が溢れている。「今の実習幹部は私の若い頃に比べたら、とても真面目だなと思います。昨日の夜も、自習する部屋に行ったらプライベートな時間にも関わらずみんなで集まって「明日の実習はこうしよう」などと話している。頼もしいですね。モチベーションも高く、育てがいがあると思います。」
絶対に見捨てないーその信頼間があるから戦える
「169人という同期の仲間が一緒になってやっていくのは、この遠洋航海が最後。あとはみんなそれぞれの部隊に散らばっていく。だからその絆を大切にしてほしいと思います。仲間を想う心は、信頼感に繋がり、それは実戦でとても大切なこと。海上自衛隊でも入隊当初の時期に陸上自衛隊の演習場を借りて陸戦訓練を行うのですが、重い銃と装備を背負って地面を這いずり回ったりしているうちに付いてこれない隊員もでてくる。それでも仲間の銃を持ち、助けながら一緒に連れていく。「絶対に見捨てない」これがあるからこそ、各々が隊を信頼し、安心して戦えるんだと思います。そうした絆もこの遠洋航海でしっかりと築き上げてほしいと願っています。」
練習艦隊司令部 先任伍長
廣崎正彦 海曹長
長い遠洋航海。航海中、艦の中は限られた世界で、様々な年齢、階級の隊員が共同で生活をする。上と下のパイプとなる先任伍長の役割には高いコミュニケーション能力が要求され、そうした能力の高い人材が選ばれる。これまでは年功序列で任命されていたのが平成15年度より発足した「先任伍長制度」により能力主義が導入され、その任に真に相応しい人が選ばれるようになった。廣崎先任伍長もその一人だ。
艦は一心同体―コミュニケーションの重要性
「艦に乗っている士官は約1割だけ。残り約9割の海曹士をまとめるのが先任伍長の仕事です。よく艦は家だとか一心同体だとか言われますが、我々の組織というのは高度なネットワークで繋がっています。隊員同士の連携、上司と部下の連携、艦同士の連携、部隊と部隊の連携など、その連携が一つでも乱れれば任務が完遂できない可能性もでてくる。コミュニケーションをとるのが少し苦手な若い隊員がいたりすると、そこを上手く育てていくことが僕たちの役割の一つなので、その成長を見るのが楽しみですね。コミュニケーション能力が低いと、その人の能力が十分周りに伝わらないこともある。ですが、私たちの仕事では隊員一人ひとりの能力を正確に見極めて、『こういうことはできるな』ということを命令していけなければならないのです。能力を超えたことを命じてしまい、その一人のミスが全体に響いてしまう恐れもあるわけですから。」アメリカ同時多発テロ事件に続く旧テロ対策特措法に基づく協力支援活動において、インド洋での後方支援活動を行うなど実戦の場で隊員たちをまとめてきた廣崎先任伍長の言葉には重みがある。
全員が元気に帰ってくることが一番の任務
「インド洋での後方支援では、海上で作戦を展開している米軍などの艦に対して、燃料を補給する支援を行っていました。燃料補給を実施する補給艦、補給艦を護衛する護衛艦2隻の3隻で任務にあたりました。自衛隊だと言っても、他国の人が見たらまぎれもなく武器を搭載している灰色の軍艦で、米軍と戦っている国からすると当然敵とみなされます。過去に普通のボートに偽装して突っ込んでくるという自爆テロを受けた他国海軍の艦もありましたから緊張感を持って任務にあたっていました。私たちの任務の中で、一番重要なのは全員が元気に帰ってくるということ。難しいことではないと思われるかもしれませんが、全てが上手く行ってこそ達成される一番重要な任務です。」
いつも怒っている人が怒っても心に響かない
そんな廣崎先任伍長のコミュニケーションの秘訣は、常に笑顔でいること。「シリアスな場面では、当然表情は変わります。いつも怒っている人が怒っても心に響かない。『またか』と思われてしまいます。でも、いつも笑顔でいる人間が、ここぞという時にマジメな顔をすると、やっぱりその時は相手も真剣に話を聞いてくれますね。」一方で、部下たちを守るためなら、たとえ上司や階級が上の人であってもきっちりと要望を伝えていく。「さすがに上官に対して怒るようなことはありませんが、要望はしっかりと伝えます。場合によっては口調がきつくなることもありますね。でも、そういうことができるようにするために、普段のコミュニケーションでしっかりと信頼関係を構築しておくことが重要だと思っています。」
正確な情報を素早く報告するためのコツー情報の集約と主観の排除
現場の情報をいち早く報告しなければいけない場合のコミュニケーションの仕方にも、廣崎先任伍長が心掛けることがある。「きっと誰もが一度は経験がある『伝言ゲーム』。ゲームという短い時間の中でさえ、情報源と最終地点では情報の内容が驚くほど変わってしまう。しかし自衛隊の中では、正しい情報が伝わらなければ指揮官は誤った情報で判断を下すことになり任務の際にはそれが人命にかかわってきます。情報は迅速に報告しなければならないのですが、それをきちんと集約すること。情報の受け取り方は人が2、3人いればそれぞれ違います。一人の情報をそのまま鵜呑みにせず、情報を整理してから報告します。もう一つのキーワードは、急いでいれば急いでいるほど、報告の際には自分の主観を排除して、客観的な事実のみを伝えるようにすることです。これは、メールでのやり取りの際も同じです。文字になるとニュアンスが伝わらないし、一つ言葉を間違えただけでも相手を怒らせたりすることもある。だから極力端的に、箇条書きにして、読み違うことがないような書き方を心がけています。」
小さなルールさえ守れない人間が緊迫の場面でルールを守れるわけがない
法を遵守する立場にある自衛隊。そのためルールや規則は一般の企業や学校よりもかなり厳しく定められている。「まじめな幼少時代を過ごしてきたので(笑)、ルールや規則を守ることについては抵抗がないはずでした。それでも自衛隊に入った時には相当驚きましたね。一日の日課が一分一秒で定められている。本当に1分とか5分単位で動かなければならないんです。そのおかげでタイムマネジメントやプランニングのスキルがかなり磨かれました。」任務の際には、1人ひとりが全ての手順やルール、規則を守らないと失敗してしまう。普段の小さなルールさえ守れない人間が、緊迫した極限の場面でそれぞれの役割を守れるはずがないという考え方だ。「そうなるとルールについても深く考えるようになる。僕が行きついたのは自由というのはルールがある中でこそ生まれてくるものだということ。ルールのない自由というのはありえないということです。」もしこの世に法律がなければ、無法地帯が生まれてしまう。秩序があるからこそ、私たちは安心して自由を謳歌できるのだ。
戦争が起こらないように僕たちがいる
争いごとなどで、世界の平和が揺れている今、日本の平和と独立を守るのが自衛隊だ。「ルールや法というのは目に見えない。僕たちの仕事というのも、国民の皆さんにはなかなか見えにくい仕事です。どれだけやっていても誰が喜んでくれているかもわからない。でもたとえ見えなくても、日本の平和を守るために僕たちがいるんです。そうした気持ちをしっかりと持ってほしくて、遠洋航海で寄港すると、前の戦争の爪跡が残された場所には若い隊員をなるべく連れていくようにしています。昨年はガダルカナル島に寄港し、戦争で亡くなった方々の遺骨を収集している「ガ島未送還遺骨情報収集活動自主派遣隊」から御遺骨を受け取り、日本の厚労省職員に引き渡す御遺骨帰還事業にもたずさわりました。現在、遠洋航海中の実習幹部にもそうしたものに触れて、二度と戦争が起こらないように、僕たちがいるんだという思いを強くしてほしいと願っています。」
練習艦かしま 先任伍長
>山崎孝典 海曹長
陸・海・空に分かれた自衛隊。各国の軍隊との合同演習などをすると日本の自衛隊の技術力と統制力に賞賛の声があがる。廣崎先任伍長と同じく、海曹士を取りまとめる任にあたる山崎孝典先任伍長は、世界中でそのような評価を自衛隊が受けられる様日々努力している。
戦わずして勝つために、僕たちは絶対に負けられない
「他国の軍隊との合同演習はもちろん、訓練以外のレセプションなどでも、日本は全てに対して絶対に手を抜かず、徹底して行います。僕たちは、抑止力としての役割を担っている。だから合同演習で技術を競うようなことがあったら、絶対に負けてはいかんのです。陸上自衛隊が米軍の海兵隊のところに行って、厳しい訓練を受けた時、『君達は米海兵隊と同等若しくはそれ以上の能力を有する。』という評価を受けました。我々も米海軍と合同演習をした時に、太平洋艦隊司令官に『素晴らしかった』というコメントをもらいましたが、そうした評価を引き出す事も大切です。レセプション一つにしても、準備作業から乗員総員の心配りで米軍や他国海軍の方々に満足していただいています。戦後70年戦っていない自衛隊の力というのはそうしたこと全てから測られますし、完璧に行ってみせることで抑止力に繋がっていく。つまり私たちは日々『戦わずして勝つための訓練』を行っているのです。」
遺体揚収という作業―誰もが精神的に健全ではいられなくなる
東日本大震災での災害派遣では大型の輸送艦に乗っていた。最初の任務は、津波にさらわれた人たちの捜索と亡くなられた方々の遺体を揚収する作業だったという。「あの震災の現場というのは想像を絶する酷い状況でした。遺体揚収という辛い作業の中、誰もが精神的に健全な状態ではいられなくなります。それでも、亡くなられた方が多すぎて、不調を訴える部下たちに『ここはいいから下がれ』とは言えない余力のない状態でした。その時も先任伍長の任についていましたが、本当にこれ以上は無理という人間だけ休ませて、あとの全員に対しては隊員の話を聞きながら精神論で頑張ってくれと言い続けるしかなかった。でもそこは自衛官として持てる力以上の力を発揮することが求められている場面だと思いました。」遺体を揚収し、布で包み、ヘリコプターに送った。「私なんかはこうした作業が初めてだったので、遺体を引き上げて布でくるみそのまま搬送という形をとっていたのですが、途中で衛生看護の隊員はしっかりと遺留品や個人が特定できるものを探し、それを大事に袋に入れてご遺体と一緒に送りだしていることに気付きました。それを見て、あぁ、私は全く何も出来ていなかったんだなぁと反省。想定はして常に備えているつもりでも、現場に行かないと見えてこないものも多いですね。」
「僕にはとても断れませんよ!」泣きながら訴える部下からまた一つ学んだ
地獄のような光景が広がる被災地で、物資を運ぶ重要な任務を行っていた際、被災者から遺体を運んでほしいという依頼を受けることもあった。「部下から報告を受けましたが、今は一刻も早く物資を運ばなければならない任務がある。多くの人が我々の到着を待っている。そのことを説明した上で、丁寧にお断りをするように伝えた時に、部下が『だったら伍長が断ってくださいよっ!僕にはとても断れませんよ!』と泣きながら怒ったんです。実際その場に行って被災者の方々の前に立つとやはり断れない。現場を見ることの大切さを再度実感した瞬間です。艦を離れられない艦長の代わりに『艦長の目となり足となり』現場を見にいかなければいけなかった。自分では驕っているつもりはなかったけれども、結果的に自分の中に驕りがあったんだなぁとここでも深く反省しました。」
五省――自分に恥ずることなく今日一日全力で誠意を持って取り組めたか
このような自分の行動について、真摯に顧みる習慣というのは、海上自衛隊の中に受け継がれる「五省」という訓戒によるもの。現在は部隊では行っていないが教育機関ではみんなで唱和する。「今日一日の自分の行動は誠実であったか、手を抜くようなことはなく全力で精いっぱい取り組めたかを振り返るんです。この五省は自分が部下を持つ立場になってからより一層心に響きますね。特に『言行(げんこう)に恥(は)づるなかりしか』という訓戒。つまり言行不一致な点はなかったかということなんですが、部下から『偉そうに言っているけど、あの人は何もしないぞ』と思われてしまったら、部隊の士気が下がり、任務にも影響しますからね。」若い隊員ほど、今度の新しい伍長はどうなんだと試してくるという。「そこで、『お前は俺を試しているのか』と怒ってはダメ。そこは五省でいう誠意をもって一つ一つ丁寧に応えていくこと。そして率先垂範で自分が手本を見せることが必要です。スタンドプレーに見えてもそれが一番の近道なんですよ。」
若い隊員の成長に自信を持った
若い隊員たちを誇りに思う事もある。「通常自衛隊のような組織はトップダウンなのですが、震災の時には、「あれもしてあげたい」「こういう支援もできるんじゃないか」とボトムアップで下からどんどんアイデアが提案されたのです。例えばお風呂支援を行っている際、「伍長、お風呂からあがったら綺麗な下着を身につけたいですよね。洗濯をしてあげたらどうでしょう?」「伍長、携帯各社の充電器を置いておいてあげたらみんな使うんじゃないですか?」。洗濯支援においても、ホテルのクロ―クのように番号札を渡して、管理できるように自分たちで工夫していたり。あの時に、私は自信を持ちましたね。若い隊員たちが著しく成長してくれていることに。」この遠洋航海に参加している実習幹部にも「各国に寄港することは、寄港した先の国との友好関係を築くことが最も重要です。先輩たちがこれまで築いてくれた日本への信頼感、友好の気持ちを壊さず、更に強固な友好関係を築いてほしいと思っています。」
実習幹部
小林勇太 3等海尉
父親を超えたいと自衛官を志した小林3等海尉。4年間の海上自衛隊生徒、4年間の防衛大学、一年間の幹部候補生学校と、実に9年間の学びを経て、160日間に亘るこの遠洋練習航海を終えれば、ようやく部隊へ幹部として配属される。
士官として視点を持てるようこの航海で学ぶべきこと
「目指しているのは、すぐに動ける、初動を全力で行える幹部です。事が起こった時の即応性や、すぐに対処できる柔軟性、そうしたものをこの長い航海の中で身につけたいと思っています。火災や浸水など非常事態に備える訓練では、現場に行き、状況をしっかり判断して、指揮官に伝え、自分はどう対処するかを明言すること、逆に部下に対しては、意図を明確に伝えて実施させることが重要だと感じています。意図を説明せずに実施させると、部下たちも正しい行動ができない。きちんと伝えれば、ベテランである部下から『その場合はこうした方がいいですよというリコメンド』が上がってきます。特に私たちは部隊に配属される時には初級幹部。現場をよく知っている部下たちに情報をしっかり伝えることが大切だということは、この遠洋航海で学んだことの一つです。でも、現時点で士官幹部としての視点に立てているかというと、まだまだです。これからの訓練の積み重ねで、少しずつ士官としての視野を広めていきたいと思います。
自分がやれば自衛隊はもっと良くなる
幹部になろうと思った理由にも小林3等海尉の高いモチベーションが感じられる。「もともと一番下の海士から入隊し、下から見て組織がこうあるべきだとか、このような組織体系はよくないという想いから、自分がやればもっと自衛隊という組織が良くなる、良くしてみせると幹部を目指したんです。そこが私の原点。中学卒業からずっと自衛隊で活躍すべく教育を受けてきた海上自衛隊生徒出身者というのは、特にそういう思い入れが強いところがありますね。」下を経験しているからこそ、下のことまでわかった上で判断が下せる上司になれるのではないだろうか。「目指すところはそこですね。これまで学んできたさまざまな制約や環境でしっかり理想を持ちつづけたいです。一方で現実的には乗員をまとめる先任海曹室(CPO: Chief Petty Officer)とのコミュニケーションを大切にしていきたいと思います。」
「欺くな!」―国民の皆さんから負託を受けて武器を預かっているという自覚
現場をすごくよくわかっている乗員と、艦の指揮権を持つ幹部ではそれぞれやりたいことや考えは違っているという。「私たちはこの航海が終了したら、初級幹部として配置されますが、私は乗員の方々とコミュニケーションを取りながら、上司とのブリッジ役になれればいいなと思っています。とにかくコミュニケーション能力がなによりも大切で、人を魅了できるような人間的な魅力のある幹部になりたいですね。やりたいことの方針をしっかりと示せる大きな人間になるためには実力や背景が伴わなければならない。これからしっかり勉強していきたいと思います。」また、リーダーとして大切なことは「欺かない」ことだという。「部下との信頼関係の構築はもちろんのこと、私たちは国民の皆さんからの負託を受けて武器を預けられているわけです。その信頼は絶対に裏切れないですね。」
五省―今日一日誠意を尽くして行動することはできたか
海上自衛隊の精神的支柱となっている五つの訓戒「五省」の一つ目に挙げられているのは「至誠(しせい)に悖(もと)る勿(な)かりしか」-つまり今日一日、自らの誠意を尽
くして生きることはできたか。人から見て不誠実と思われるふるまいはなかったか。こうした精神があるからこそ、日本の自衛隊は各国軍との合同練習や交流などで高い評価を得るのだろう。「米海軍の艦に今回初めて乗って、日本の艦の綺麗さを改めて感じました。こうしたささいなことでも日本の自衛隊はきちんと統制されています。船体整備や清掃が行き届いているということは乗員一人ひとりの意識と規律の高さの証でもあります。そうしたことが日本の自衛隊の強みだと思います。」
実習幹部
駒谷真琴 3等海尉
名古屋大学の経済学部で『貧困国の経済成長』にフォーカスして学び、世界平和に興味をもった駒谷3等海尉が選んだのは自衛隊の幹部候補生学校へ進むという道。男性に比べ女性の採用人数は男性の10分の1以下であるため、採用倍率は非常に高く、30倍とも40倍ともいわれる。その熾烈な競争を勝ち抜いて採用された女性自衛官は非常に優秀な人材の集まりだという。
女性としてのメリットもデメリットも感じない
駒谷3等海尉は、女性自衛官であることのメリットもデメリットも特に感じたことはないという。「訓練や仕事の過程で、男性と比べた時に大変と感じたことはありません。逆に、私たちが感じるというよりは、組織として女性を任務につかせる上層部に気を使わせてしまうのかなという気持ちがあります。結婚や子どもを持つというライフステージの変化についても、男性にとっては問題にならないことですが、女性の場合は実際に出産するために任務につけない期間ができてしまうわけですから。」将来、子どもを持つタイミングは配属される職種によって考えたいという。まずは仕事ありきというわけだ。「経済学を学んでいたこともあり、経理・補給という職種を希望しています。幹部候補生学校は、防衛大出身の1課程と一般大学出身の2課程に分かれているのですが、防衛大出身者よりも私のような一般大学出身者の方が、民間感覚を持っていると思うんです。大学時代の様々なアルバイト経験や、一般の企業への就活経験がそうした感覚を養ってくれたと思っています。経理・補給は外部とのコミュニケーションが必要な部署ですし、そうした自分の強みをこの組織で役立てたいですね。」
24時間生活も仕事も一緒の艦の上では自分を偽れない
「この航海が終了したら、私たちは幹部、つまりリーダーの立場として配属されるわけです。リーダーとはいっても新米なので、経験豊富な部下の方々に仕事を教えてもらわなければ何もできない。だからぐいぐいと引っ張っていくリーダー像ではなく、下の人が支えてあげたいと思ってもらえるように頑張っている姿を見せていかなければいけないと思っています。この航海中も、海曹士の方々ってけっこう見ているんですよね。一回でも手を抜けば信頼関係が崩れてしまうと思います。特に海自の場合、一度艦に乗れば生活と仕事の場が同じなので、24時間一緒にいる。偽ってもすぐにボロがでてしまいます。自分自身を磨いて、常に誠実で徳のある人間にならないと誰もついてきてくれないと思います。」
チームワークの難しさー克服すべき課題
自分自身を磨いていこうと読書にも励む。「今読んでいるのは『「君にまかせたい」と言われる部下になる51の考え方』と『「ついていきたい」と思われるリーダーになる51の考え方』の2冊。配属後は、リーダーにもなり部下でもある立場になりますから少しでも備えておきたいですね。この遠洋航海に出る前に、「しらゆき」という練習艦で日本での航海があったのですが、そこで感じたのはチームワークの難しさ。チームメンバー内のコンセンサスを得るのがとても大変でした。同期であっても一人ひとりスキルもモチベーションも違う。そしてそれぞれの目指すゴールも違います。改めてチームで動くことの大変さを実感しました。どのようにチーム内の意思統一を図るかなどは、配属される前にこの航海で身につけるべき大きな課題です。」
これまで自衛隊は顔の見えない存在だった。しかし東日本大震災の後、自衛隊は私たちにぐっと身近な存在となった。黙して語らず、命がけで任務を遂行する献身的な姿に、国民もそして他国軍も心を動かされる。武力を持たず、諸国を信頼し、全ての武器を放棄する。もちろんそれが理想的だが、現実的には、世界のあちこちで争いごとが止まらない。そんな中で日本が70年もの間平和を維持できたのはやはり平和を守るという自衛官の高いモチベーションによるところが大きいのではないだろうか。「そのために我々はいるんです」―静かだが、自信に満ちた自衛官の言葉に、日本の平和はきっと守られるそんな想いを強くした。
海上自衛隊の精神的支柱となっている「五省」は、旧大日本帝国士官学校である海軍兵学校時代から用いられている五つの訓戒だ。第二次世界大戦の後、日本を占領していたアメリカ海軍の第七艦隊司令官ウィリアム・マック中将が、五省の精神に感銘を受け、英訳文をアナポリス海軍兵学校に掲示させたという逸話が残っている。発案者は第34代海軍兵学校長、松下元少将。現在でも、海上自衛隊幹部候補生の学生たちは、毎晩自習終了時刻の5分前になると、五省を唱和して、自分を顧みて日々の修養に励んでいるという。
五省
一 至誠(しせい)に悖る(もと)るなかりしか
真心に反することはなかったか
一 言行に恥づるなかりしか
言葉と行いに恥ずかしいところはなかったか
一 気力に欠くるなかりしか
気力が欠けてはいなかったか
一 努力に憾(うら)みなかりしか
努力不足ではなかったか
一 不精に亘(わた)るなかりしか
不精になってはいなかったか
アナポリス海軍兵学校(United States Naval Academy)に掲載された英文訳
Hast thou not gone against sincerity?
Hast thou not felt ashamed of thy words and deeds?
Hast thou not lacked vigor?
Hast thou exerted all possible efforts?
Hast thou not become slothful?