元フジテレビアナウンサー、現在はパリで生活をする中村江里子さん。テレビ出演していた頃と変わらない美しさを維持しているのじゃ芯の強さからなのか。揺るがない意思を貫き通すことの大切さを学び、人を重んじる日本人の心を子供達に伝えたい。笑顔の中に知性が光る、そんな中村江里子さんにお話を伺いました。
感謝の心と謙虚な姿勢を忘れずにいたい
両親の知人の勧めでアナウンサーの道へ
私は東京生まれです。小さい頃は色も黒くて細くて運動が大好きという、どちらかというと男の子に間違われるような女の子でした。
曾祖母、祖母、両親、私達兄弟3人という大家族に育ち、明治・大正の日本女性の古い考え方というのを自然に身につけたように思います。 実家は楽器屋です。創業は明治7年。築地、銀座で楽器店”十字屋”を営んでいます。今年、創業138年となりました。
今は時代的にピアノを購入するご家庭も少なくなり、時代と共に求められる物も変わってきましたので、現在はかなり縮小をしていますが変わらず銀座で商売はしております。わたしの母はピアノやハープなど出来て音楽が得意なのですが、私は3歳でピアノを始めて1ヶ月でやめてしまいました(笑)。
もう全く音楽はダメで、完全にスポ一ツの方にいってしまって。ずっと水泳をやっていました。他にはマラソンなど長距離のものが好きで、体育祭エンディングのマラソンには必ず出場していました。
アナウンサーを目指し始めたのは大学4 年生からです。当時就職活動は3年生から始まつていたのですが、性格がかなり頑固で融通がきかないので、何をやりたいっていう明確な希望も無く、どこの会社に行きたいというのも無いのに就職活動をして、想いの無い会社に訪問したりするのが失礼な気がして何も動けなくなってしまったのです。
周りの友人達がリクルートスーツを着て就職活動している時にも 1 人で悶々と家で新聞や本を読んでいました。
「生きるとはどういうことか」とか 「自分がすべき事は何なのかなど割と難しく考えてしまっていて、両親も私の性格を知っているので、「もういい、あなたの性格を考えると就職活動は踏み出せないだろうから、もう就職活動はしなくていい。勉強をして卒業して1年間は寝る所と食べる物はあげる」と言われて、私は1年の猶予があるなぁと思いました (笑)。
そんな時にたまたま両親の知人とお会いする機会があり、 「アナウンサーに向いていると思うんだけど」って言われ「はあ?」つて(笑)。アナウンサーという職業を意識した事がなかったので、「え—??」って驚きました。
でもその方が「僕はあなたの声はすこ くいい声だと思うよ。東京出身だからアクセントも無いしいいと思うんだけどね」つて言ってくれまして。
それでも踏ん切りが付かずにいたら、その方に 「みんなが一斉に就職活動をするのは一生に一回だけの事だし、やっばり同級生と一緒に一歩踏み出してみるべきだよ。物事を考えて立ち止まっていても何も進まないから、やってみると何か見えてくるかもしれないからやってこらんよ」とポンッと背中を押されて、「じゃあ」という感じでアナウンサー試験の応募の書類を出したんです(笑)。
本当に些細なことがきっかけでアナウンサーという道を進んでいくことになりました。
面接で「フジテレビは見た事がありません」発言
今から20年前なのですが、当時もアナウンサーとかスチュワーデス(キャビンアテンダント)はものすごく人気の職業で競争率は非常に高かったようです。
みんな大学時代からアナウンススクールに通ったり、もうアナウンサ一を目指して目指してという状況で、髪型からお化粧、しゃべり方も服も本当に完璧な人達がたくさんいたのです。
そんな中、私は面接といっても何をやるのか分からないので ノーメイクで普通にお気に入りのスーツを着て行きました。当時フジテレビの場合で、3000人ぐらいの人達が書類を出したらしいのですが、まず書類で1000人に絞られて第一次の面接が行われました。
アナウンス室、人事、制作現場の3人の面接官と応募者1人での面接だったのですけど、そこで1000人から一気に30人に絞られたのです。私の担当面接官の一人はアナウンス室からは野間さん( 野間修平さん)でした。
「なぜフジテレビなのですか?」って聞かれて私はフジテレビを見た事がなかったので、「フジテレビはあまり見た事がありません」と正直に答えました(笑)。そしたら大笑いされました。
もしかしたら面接を受けたほかの学生たちは 「フジテレビ、大好きです!!」と答えている中で、私の答えは驚くものだったのでしょうし、ノーメイクだったというのも、面白かったのかもしれません。“普通で自然"だ ったことが功を奏し、無事に内定をいただく事になりました。
華やかな印象のアナウンサー、実は普通の会社員
アナウンサーというのはテ レビ局の中では専門職になるのです。技術やカメラや美循などが専門職で、あとはみんな制作という形で一般入社ということになります。
ですから私もフジテレビア ナウンス室勤務の一社員なので、お茶汲みや先輩達の出前の電話をかけたり、郵便室に郵便物を取りに行ったりもしました。アナウン サ ーとしてテレビには出るけれども、普通に会社員としてお給料をいただいていました。
でもテレビに出るというのは見ている方にしてみたら女優さんとかタレントさんや歌手の方と一緒で、『テレビに出ている人』というくくりになるので、そのギャップに戸惑う事が多かったです。
プライベートを詮索される事もあったので、「何で?会社員なのに」って自分で居場所がよく分からなくなる事もありました。その都度家族に「あなたは会社員だし、アナウンサーは華やかに見られるけれども、表に出ないところでの準備の時間は大変なものなのだから、周りはどうであろうと自分の中でそのことをきちんと分かっていれば大丈夫よ」と言われました。
今、世の中は就職難と言われていますが自分が経験して感じたのは、自分の意志は貫くべきだということ。
どんな事があっても揺るがない一本柱を持っていないと、いつも迷う事になってしまうので、これだけは人に何て言われようと頑固に守るものがあって、それを軸として周りに肉付けをしていくべきだと思います。
そういう軸を自分の中で持てたら、とても強いと思うのです。時代はとても変化しているから、その波に乗っかってしまうほうが楽なのかもしれないけど、結局みんな乗っかって悩んだり迷ったりしているのであれば、揺るがないものを持ってどんと構えてることの方がこれからの時代にすこく重要な気がします。