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デジタル版・新聞

インタビュー

マノア日本語学校 広江奈加子教頭先生

マ ノア日本語学校へ

 

マ ノア日本語学校に来たのは1994年で、それからずっとここに勤務しています。 マノア日本語学校は1910年創立ですから、去年で 100周年を迎えました。この学 校はオーナーがいないんです。最初のオー ナーは沖縄の方です。

 

この辺りは昔沼地で、日本からの移民が レタスやセリを栽培していたそうです。彼らはいっか日本に帰るつもりでしたが、皆こ こで子供が生まれてしまった。子供たちは英語と日本語のチャンポンのピジンで喋っていて、小学校に入ると英語がメインになるので日本語はだんだん喋らなくなる。

 

いつか日本に帰るのに、日本語が話せないと 困ると心配した親たちの要望で始まったのがマノア日本語学校なんです。一番最初の 生徒は12人でした。 生徒もだんだん増えて、 60年代には 250人<らいになりました。それで今の建物を作ったそうです。

 

オーナーはその頃ずいぶん高齢になっていたので、近隣の住民の方々が色々お手伝いをしていました。そのお返しに、オーナーはこの学校と土地を マノアの地域に寄付したということです。その後管理を担当していた方たちも皆亡くなられてしまったので、今はボードが学校を 運営しています。ボードの方たちはこの学 校の卒業生さんですよ。

 

今の生徒数は135名くらい。日本の名前 を持つ日系人は6人くらいで、それ以外は 国際色豊かな子供たちです。ノイラニ小学 校とマノア小学校の子供たちが、小学校が終ってから勉強し にきます。大学生が小学校に迎えに行 って、連れて来てくれます。その大学生 にも私の教え子がいます。

 

授業は月曜から金曜2時45分から 始まります。授業は教科書に沿って行 っています。4時半からは柔道や公文など色々な活動を行っているので、自由に参加できます。 私は月曜から金曜のl時間目は4·5歳の幼児科を担当しています。 幼児科の授業には音楽をよく使っています。

 

日本の童謡を聞かせると、皆すぐに歌い出すんです。音楽で教えるのってすこくいいですよ。日本語が話せなくても、歌は歌えるんです。どんなに長くても歌えます。ひらがななんかまだ書けないけれど、音で覚えてくれる。絵を描いている時なんかにも鼻歌を歌ってくれたり。それで覚えるんです。

 

例えば「象さん」を教えるならば、象さんのぬいぐるみを持ってきて 「象さんはお鼻が長いんですよ」と鼻を見せてあげる。そう するとすぐに覚えますよ。 毎日の積み重ねって大事ですよね。覚えが早い時にそうやってたくさん教えてあげると、大人になってからも意外に覚えているものです。

 

向かいのガソリンスタンドで働いている方は、3年間だけここに通ったそうで す。今では日本語はほとんど覚えていないけれど、歌だけは覚えているんですって。先生 が日本の傘をさして着物を着て 「あめあめ ふれふれ」を歌って踊ったことがあって、それが面白くて皆ゲラゲラ笑って、それを今でも覚えているんだそうです。

 

そうやって印象に残ることは忘れないんですよ。 誰もいないときは音楽をかけっばなしに しておくんです。そうすると、通る人たちが立ち止まって日本の曲を聞いています。懐かし くて喜んでくれる方が結構いるんですよ。そういう方にはテープを差し上げてます。

 

金曜日は子供 たちも疲れているので、たまには骨休めでアニメを 見せたりもしま す。ポケモンなんかすこく喜びます よ。アクションが あるから分かり やすいんでしょうね。日本語だし、結構早口ですが、皆ちゃんと理解し ていて面臼いと 言っています。土曜日は私だけ学校に来て、他の先生 方はお休みです。私は雑役係りな ので(笑)。

 

授業は9時半からで、カネオヘやハワイ力イ、パールシティなど、遠い所からの生徒が来ます。午前中は低学年、午後は高校生、2時から3時は成人を教えています。 成人の方はもうすぐ日本に行くので、道の尋ね方などの即席の日本語しッスンをし ています。

 

それをテープレコーダーに録音し て、テープを聞きながら発音を覚えるように指導しています。テープに自分の言葉が入っているのを聞くと、一番勉強にいいで すよ。あまりそういう先生はいないようです が、私はいつも利用しています。

 

高校生は学校の宿題を持ってきます。学 校ではどんどん授業が進んでしまうので、分からなくても質問できないこともあります。そういう時はここで質問する ことができます。

 

先週は、学校の駐車場に車を停めて、そのまま寝てしまって遅刻して しまった子がいました。 その子はとても熱心なので、 「今週早めに来ればその分教えますよ」と 伝えておきました。そうやってやってあげるとすこく喜びますよ。喜ぶということは、勉強したいということです から。

 

どうでもいい科目と思われるのが一 番困ります。ケ一スバイケ一スで指導していますから、土曜日が一番忙しいですね。でもできる限りテイクケアしてあげたいと思っています。 私は昔の人間ですから、昔の伝統に沿っ たことを教えています。

 

編み物や墨絵も教えていますし、色紙に筆で絵を描いたりも します。ただ日本語を勉強しろと言っても、難しいから嫌になってしまうんですよね。楽 しみにさせるには、頭の運動と手の運動ができるといい。出来上がったものがきれいだったら、親も子供も喜んでくれますから。

 

色紙に描いた絵を見て「本当にこれはうちの子が描いたの?」と親がびっくりするこ ともあります。筆の使い方で色がきれいに 出るんですよね。うちの子は天才だと喜んでくれます(笑)。

 

男の子には碁や将棋などのゲームを教えています。私も大好きですから。 そろばんも無料で教えています。子供は欲があまりないから、ある程度できるようになると 「 I have enough」と言って帰ってし まう子もいます。そろばんは難しいですからね。

 

でもやる気のある子はねばってやっていますよ。万の位までやっている子もいます。 今の若い先生は、そういうものを見たこ とがないんですよね、学校でも習っていないんです。

 

「そろばんはどうやって使うんで すか?」と聞かれることもあります。日本の教育が変わってしまっているから、かわいそうだなと思うことはありますね。昔はなんでも手で作ったものですが、日本では今そういうことをあまりやりませんしね。

 

代わり に、ハワイで日本の文化を教えています。 私は本を読むのが大好きで、子供たちによく本を読んであげるんです。そこらじゅう 本だらけでしょう。子供たちからは「先生何か本を読んで」とよく頼まれます。子供たちは何かお話が聞きたいんですよ。

 

皆とっても一生懸命聞きますよ。日本の絵本は絵が とってもきれいなんです。私は日本に行くと 動物の絵の絵本をたくさん買ってきます。 楽しいですよ、皆ー生懸命勉強してくれますし。生徒たちが感想を書いてくれるんですが、「こういう先生は初めてだ」とか 「いつも楽しく勉強させてくれてありがとう」と か。高校生は 「広江先生みたいな先生は、うちの学校にはいないよ」と言ってくれたり して、とっても嬉しいですね。

 

 

 


広江奈加子 Marie N. H. Pyun

1946年島根県の安来高女専攻科卒業後、東 京に戻り米軍陸軍病院(現聖路加病院)の通 訳となる。その後日本とアメリカの看護婦免許 を取得。結婚を期に 1952年にハワイヘ。海兵 隊員のこ主人の仕事の都合で、メインランドを 点々とする。1960年頃ハワイに戻り、クアキニ 病院で働き始める。病院勤務の傍ら日本語を 教えるようになり、教員免許を取得。1994年 マノア日本語学校の勤務を始める。同校は昨 年創立100周年を迎えた。息子のアルバー ト・ ピャンは映画監督としてアメリカで活躍してい る。現在アメリカ版『里見八犬伝』のプロジェク トが進行中であり、広江先生が翻訳を担当し ている。

 

アルバー ト・ピャン

広江先生の長男アルバー トさんは、 1982年に映画監督デビュ 一を果たし、 以後50作以上の作品を 発表している。子供の頃から絵を描くの が得意で、 8mmを使って 短編映画を自作自演して いた。ハワイ大学在学中 は、映画祭に入賞したり、テレビで作品が放映されたりしている。18歳の時に日本の三船敏郎の三船プロダクショ ンに手紙を出したところ、すぐに直筆の返事が届き、一時黒澤明 の下で撮影を学んだこともある。


 

 

(日刊サン 2011.03.11)

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