コロラド・ラピッズで全米優勝!オバマ大統領にも賞賛される
2007年のシーズンからコロラド・ラピッ ズに所属し、今シーズンで6年目になります。2009年のホームの試合には日本から両親が見に来てくれて、その時はプロ初得 点を決めることができました。両親は2010年MLSのファイナルも見に来てくれました。
アメリカはスポ一ツで全米優勝するとホワイトハウスを訪問することができます。 2010年にコロラド・ラピッズは優勝したので、2011年の夏にホワイトハウスに招待されました。オバマ大統領が演説をしてくれて、僕の名前も呼んでくれて握手をすることもでき、責重な体験となりました。
2010年の決勝戦の前夜に、チーム全員で食事に行ったんですよ。その時に全員ひと言ずつ話して、最後に僕がスピーチを頼まれました。最初は英語でスピーチをしたのですが、皆から 「理解できないけど日本語で熱く語ってくれ」というリクエストがありまして(笑)、大爆笑されながら5分くらい日本語でスピーチをしました。
そのことが1年のハイライトとしてメデイアに取り上げられていました。 ホワイトハウスの訪問の際、オバマ大統領がその文章を読み 「光佑はどこだ?」といきなり声をかけられました。
「日本語でスピーチをしたのは本当か? 誰も理解できないのに良くやったな」と言って頂き、みんな大爆笑でした(笑)。
MLSは成長が早いので、これからもどんどんいい選手が入ってくると思います。ベッカム選手・アンリ選手・ドノパン選手といった有名選手も所属していますし、あと10年 経ったらけっこう上のレベルに行っていると思います。
アメリカはスポ一ツにとても力を入れていて、どのスポ一ツも強いじゃないですか。オリンピックでは冬も夏もアメリ力 が圧倒的ですし。人口も多いし、スポ一ツに対する投資は莫大な金額ですからやはり強いですよね。それがサッカーにも少しずつ表れているので、10年後には世界を代表するリーグになると思います。
これからMLSに来る日本人プレイヤーのことも頭の中にあり、なんとか頑張って次の世代への道を切り開こうという想いがあります。今年すごく嬉しいのが、日本人選 手がMLSに3人も入ったこと。コロラド・ラピッズにも山田晃平君が入って、嬉しくて嬉しくてしょうがないです。彼らには僕以上に活躍して欲しいと思っています。
サッカーができるならなんでもやってやる!
2003年2月に西イリノイ大学のESLに入り、それから毎日勉強です。どうしても9月に大学に入らなければならなかったので、サッカーボールを触る暇もなく、1日10時間以上寝る間も惜しんで勉強しました。
英語の先生には、英語を喋れるようになるまで最低でも1年はかかるかもしれないと言われましたが、そこを半年でなんとかしてくださいとお願いして、毎日死ぬ気で勉強しました。
なんとかESLは9月までに卒業できる見込みができましたが、NCAAのディビジョン1でスポ一ツをやる場合、SAT(日本のセン ター試験のようなもの)である程度の点数を取らなければならないんです。英語と数学の2科目なんですが、英語の問題がまったく理解できない。
アメリカ人にとっても問題文が古文のようなもので、SAT用の勉強をしなければ難しいと聞き、 「これは無理だ」と思いました。あと1年サッカーを諦めるしかない。
父には1年で見込みをつけて駄目なら帰ってくるように言われていたので、今度は1ヶ月だけSATの勉強に集中しました。それでも全く点数が取れません。SATは1科目800点満点で合計1600点満点なのですが、900点以上取らなければならない。数学で満点を取っても、英語で100点以上必要です。
色々調べた結果、 SATでは数学と英語の解答用紙に名前を書くだけで200点ずつもらえるということが分かりました。間違えるとそこからマイナスされ、正解するとそこから点数がプラスされます。ということは、英語で1問も間違えなければ200点もらえるということです。
間違えないにはどうすればいいか? 1問も答えなければいいわけです。これはもう賭けるしかない。そこで、英語は名前だけ書くことにしで数学は過去10年間の問題を手に入れて、全部パターンを暗記しました。
結果は数学がほぼ満点で、合計925点 を取ることができました。結果が出たのが大学が始まる1週間くらい前で、すぐに監督に結果を伝えようやくサッカーができることになりました。 大学に入ったのは良かったけれど、今度は成績の問題があります。
僕は留学生として大学に入っていたので学費が高く、やはり奨学金をもらわないと難しい。アメリカは勉強とスポ一ツの両立を推奨しているので、成績が悪いとチームから外されてしまいます。GPAは4.0が最高で、アメリカ人は2.8以上、留学生は3.2以上必要です。
でも、授業を聞いても何を言っているのかま ったく理解できない(笑)。そこから1年半はテキストの丸覚えです。お金がなくてテキストが買えなかったので、時間があれば図書館で勉強していました。
アスレチックトレーナーとして働く必要もあり、練習の前と後はチームメイトのトリートメントをやって、その後は図書館という生活です。大学に入ってからも本当に大変だったのですが、とにかくサッカーがやりたいという一心でした。
子供の頃からサッカーしかできないと思っていたので、サッカーができるならなんでもやってやるという気持ちでした。