犬の世界が自分のいるべき場所だった
このケネルで4年半ほど修行をした後に独立をしました。最初に伯父が熊本で店を出してやるといってくれていましたが、あれはただ僕に何かさせたかっただけだったようで、みんな数ヶ月で逃げ帰ってくると思っていたようでした。
それが意に反して5年近く続き、その後は埼玉で独立をしたので、家族にとっては嬉しい誤算だったようです。独立してつくったのは、ボーデイングケネルで、ドッグショーのためのケネルです。もちろんドーベルマンを主流にしたのですが、前のところからのお客さんもいたので、引き続きアフガンハウンドも預かっていました。
ケネルのシステムとしては、犬のオーナー からドッグショーに出したい犬をお預 かりしてトレーニング、コンディショニング コートケアをしながら一番大切な信頼関 係を築きます。
ドッグショーはケネルクラブのオフィシ ャルランキングやドッグマガジン紙で行われるポイント制のランキングで、年間で稼いだポイントで各ブリードのナンバーワン を決めていくんです。
ショーで優勝をして、チャンピョンを完成してオーナーさんのと ころへ帰る犬もいますし、ランキングを目 指しキャンペーンする犬もいます。
競走馬と同じ様なものなのですが、競走馬と違うのは、犬のトレーニング、コンディ ショニング、グルー ミング、シヨ ーヘ出す運 搬、ハンドリング(馬で言うとジョッキー)も 全部同じ人がするんです。多い時は100頭休む暇はほとんどありませんでした。
このケネルは3年くらいで一度やめることになりました。 まだ僕は若かったんですね、この世界の政治的なことを全然分かってなかったんです。
その後なぜか熱帯魚のお店を始めました。妻の母親が熱帯魚を飼っていて、餌を買うから車に乗せていって欲しいといわれて行たお店があり、そこで知り合ったオーナーさんに、「犬の世界で色々あって続けられないんだったら、何も無いところでマーケ ットを作ったら楽しいよ、そんな世界で自分を殺して生きていくのと、知らない世界 で自由に生きていくのとどっちがいいか」つ て言われて、彼の言葉でしばらくは犬から 離れ、熱帯魚の世界でビジネスをしようと決心しました。
その後しばらく熱帯魚のビジネスの世 界にいたのですが、やはり犬が好きなものですから、平行してプードルのブリーデイングなんかもしていました。
そんな時仲間内 で発案したのが、日本で大ブームにもなったプードルのテデイーベアーカットでした。プードルの顔をそるのが嫌だっていうお客さんが結構たくさんいて、あのカットが出来上がったんです。あのカットを最初に始めた友達のグルーミングの店は、今でも予約が一年待ちなんです。
その後、熱帯魚のお店は最終的に友人に譲り、犬の世界に戻って、グルーミングやブリーディングもするケネルを再開しました。
ハワイに来て5年目、Ilio O Hawaii でベスト・メイルハンドラーに輝く
そのままケネルを日本でやっていたのですが、知り合いの人からハワイのグルーミングのお店をやりかけているんだけど手伝ってくれないかと声をかけられました。
その頃ちょうど世界に目を向けていて、日本にいて世界を見るのか、世界に出ていくのかを考えました。まだまだ日本には封建的なところが残っていましたからね。それまで32カ国、100回くらい海外に出ていたんですが、それは熱帯魚のビジネスをしていた時お世話になった問屋の社長にこんなことを教えてもらったからです。
「まずは自分のいるところから外に出なさい、そして出たところから日本を振り返り、今自分がどういう状況にいて、どういうマーケットになっているかを常に見て、何をしなければいけないかを確認しなさい。そして一度や二度だと忘れてしまうから、定期的にそういう状況に身を置いて、忘れないようにしなさい」と。
その教えから、休みなく働いて、休みを取る代わりに海外に出ていました。そんなこともあって、海外に出ることはずっと考えていたことでした。ハワイではカハラという場所で、高級住宅地なんだと教えられたのですが、実際に連れて行かれたところにはボロボロで壁さえないお店があってビックリしました。
それでもやってみようかと思い、2006年の3月3日に、そこにグルーミングのショップをオープンしました。日本から何人かスタッフを呼んで助けてもらったのですが、とにかく右や左も分からないし、英語も話せないような手探り状態でのスタートでした。
マーケティングなどほとんどせず、とにかく自分のやりたいことをやるというスタイルで始めました。最初は自分たちでチラシを作って、近所に配ったり、道を歩いてる人や公園にいる人たちに配ったりしました。
隣に動物病院があって、そこからお客さんを紹介してもらったりと、なんとかお店を始めることが出来ました。ハワイに来てすぐの頃からドッグショーにも出場するようになりました。
隣の獣医さんで働いていた人がポメラニアンのブリーダーでドッグショーに出場したのを見に行って、次のドッグショーでハンドラーとして引いてみないかと言われたのがきっかけでした。そのポメラニアンを引いて出場したドッグショーでは、連続で3年間ナンバーワンになりました。
その後、ハワイで一番大きなドッグショー(HKC)での大会で、ラサアブソーをハンドリングし、全ての種類の中のトップ”ベスト・イン・ショー”をいただきました。
4年ほど、ハンドラーとしていくつかのドッグショーで実績を作った後のことでした、2011年にIlio O Hawaiiにハンドラーとしてノミネートしていただきました。女性5名、男性5名のノミネートされたハンドラーの一人に入れたんです。
これを聞いたときはとっても嬉しかったですね。やっとハワイのローカルのハンドラーとして認めてもらえたんだと思いました。
実は最初はノミネートされてることを知らなかったんです。年間No.1になったトイプードルには招待状は来ていたのですが、まさか自分には招待状が来るとは思ってもいなかったんですよね。その上、初ノミネートで”ベスト・メイル・ハンドラー”をいただけるとは思いませんでした。
ハワイで認めてもらえたんだと思うと、とても嬉しかったです。授賞式の写真を見ていただいてもわかると思うのですが、嬉しいというか、ビックリした表情をしたいるんです(笑)。
最近では、ブリーダーもハンドラーも世界的に見て年配の方が多く、若い人が育たないんですよね。生き物を扱うというのはとても大変な仕事で、自分の生活を制限されますからね。メインランドのトップハンドラー達のインタビュー記事では、「家族と過ごす時間より、犬達と過ごす時間の方が長いよ」というコメントはよく見かけます。
僕自身は、犬からたくさんの大切なことを教わったことで、またハワイでも皆さんに認めていただいたことで、自分の価値観を見出すことができ、続けていられるんだと思います。