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デジタル版・新聞

インタビュー

【インタビュー 輝く人】ハワイ日本人学校レインボー学園 校長 松井敏さん(2012〜2013年度)

レインボー学園中学3年生の修学旅行(2013年)

 

千葉県の教員として中学校へ勤務し、海外での日本教育の教員不足を補うために志願してマレーシアのクアラルンプールの日本人学校へ赴任。その後2度目のマレーシア勤務を経て2012年にハワイのレインボー学園の校長に。「どんな生徒も教師より立派になる」という確信を持ち、生徒の成長を楽しみに教育に携わる、輝く人。

 

どんな生徒も必ず自分より立派な大人になります

松井敏(まつい・さとし)
1950年千葉生まれ、千葉大学理学部化学科卒業後、千葉県の採用で中学校の理科の教師になる。35歳のときにマレーシアのクアラルンプールの日本人学校へ文部科学省により派遣。3年後、千葉へ戻り、教頭、校長試験をパスし、52歳で再びマレーシアに赴任。さらに3年後に帰国。定年退職後に海外での教育経験を生かすべく文科省の試験を受け、2012年にホノルルのレインボー学園の校長に派遣。

(インタビューおよび日刊サンへの掲載は2014年1月。2012年3月にレインボー学園に着任。その後、2014年3月に帰任されました)

 

千葉市からマレーシアの学校へ

私は千葉県の採用で教員になりました。私自身それほど勉強ができる方ではなかったので、大学を卒業して教員になったときに最初に思ったのは「これでもう一生試験を受けなくていいんだ」ということでした(笑)。教員は子どもたちに試験を受けさせる立場ですからね。

ところが先生も試験があるんですね。ある知人に、海外で日本の学校の勉強をしたいという子どもたちがいるのだけれど、先生もいなくて設備もない学校が多いという話を聞き、そういう子どもたちに日本の教育を受けされられたらと思ったのです。  

当時は千葉市の教育委員会で試験を受けて、さらに千葉県の教育委員会の試験があり、その後文部科学省の試験に通って、ようやく海外に派遣されることが決まりました。たくさんの試験を受けましたね(笑)。  

 

35歳のときから3年間マレーシアのクアラルンプールにある日本人学校に理科の教師として行きました。月曜から金曜日まで日本の学校と全く同じカリキュラムの学校です。  

派遣先は希望を出せませんので、12月に学校の教頭から「派遣先はクアラルンプールに決まった」と聞いて初めてどこに行くのかを知りました。とはいえ、「トルコか!」と思ったのですが、トルコの都市はイスタンブール(笑)。というくらいクアラルンプールについても何も知らず、社会科の地図帳を見て東南アジアのマレーシアだとわかったほどです。その地図帳で、椰子の木やゴムの木の林があって、そこに高床式の家があるイラストを見たので、何もないところなのではないかと思いました。冬でしたからダンボールいっぱいの蚊取り線香をなんとか探し出し、船便で荷物を送りました。  

着いてみるとクアラルンプールは首都なので東京と同じ様子だったことに驚きました。蚊取り線香の話をしたら「ここには蚊はいない」と言われてさらにびっくり。政府が厳しく、例えば庭に蚊が発生する原因となるような水を放置すると罰せられる上、庭はガーデナーがきれいにしているので蚊はいないそうです。それにしても、世界で日本を紹介する教科書に侍と芸者さんが出てくるという話を聞きますが、日本の教科書も古いなぁと感じました。  

 

マレーシアの日本人学校に行って感じたことは、海外に出ているとみなさん家庭がしっかりしているということです。日本ではないからこそ家族が協力していかないといけないという思いがあるのかもしれませんね。家族の絆が強く、いい子どもたちばかりでした。  

それから、先生と生徒たちとの結びつきが日本よりも一層強くなるのも海外の日本人学校で感じたことです。あのときのマレーシアの子どもたちからは今でも連絡が来ますよ。彼らは帰国して今は日本全国にいるので、同窓会の案内が全国から来たりしますね。海外にいた日本人学校の子どもたちの方が密に連絡を取り合うような気がしています。

クアラルンプールの日本人学校の息子さんの入学式にご家族で。この後、息子さんに理科の授業をすることになる(1990年)

 

海外派遣は人生の財産になる

30代で日本に帰って、その後教頭や校長になるための管理職の試験、海外で教育をするための教育委員会の試験、文科省の試験などを受けました。校長試験が終わったときにも「今度こそ一生試験を受けないで済む」と思いましたよ(笑)。  

2回目の海外派遣は52歳のときに校長として3年間マレーシアに行きました。再度海外派遣を希望したのは、海外でいろいろな経験をしたいと思ったからです。海外の施設に来ると、日本では出会えないような人と知り合いになれることがあります。例えば海外で学校を経営している人たちが企業のトップだったりするため、そういう方たちと話をする機会があり、学校経営の話題以外にも社会的なことを聞くことができ、自分自身人間が大きくなれると思うのです。日本の中の千葉市という一地方都市にいたのでは会えないような方々と会って話をすることは、自分の人生にとっても大きな財産になると感じています。  

日本では校長がトップですが、海外には運営理事・運営委員会があり、校長は運営委員会の下で働いていますから、運営委員の方々と話をたくさんできるという、学校以外のことでも楽しみがあるのです。  

 

2回目の派遣先が1回目と同じマレーシアだったことは全くの偶然でした。帰国後しばらくして定年を迎えたのですが、何かの力になれればと思って、また試験を受けたところ、今度はホノルルに決まってレインボー学園にきました。  

振り返ると派遣先がいいところばかりだったと思います。マレーシアのクアラルンプールは今や日本人の定年退職者が将来住みたい場所として人気第1位。第2位がタイのバンコクで、第3位はハワイです。赴任地の希望は一切出せませんので、南米やアフリカなど治安のよくないところも含めて世界中のどこに行くかまったくわかりません。人気1位と3位の地域で生活する経験をさせてもらえたのはついていたのかもしれませんね。  

 

実はハワイは新婚旅行で来たところです。ヒルトンハワイアンビレッジのレインボータワーに泊まりましたから、ハワイに派遣されてすぐに何十年ぶりか、ホテルを見に行きました。

レインボー学園は事務のスタッフや運営理事会もいい方ばかりです。「校長先生が今まで経験したことをそのまま、やりやすいようにやってください。私たちは協力します」というスタンスでいてくれるのです。もちろん、そう言っていただく分、期待をされているわけですから頑張らなければなりません。  

ただ、全日制の学校とは全然違います。一番もどかしいのは、先生へのアドバイスや指導をする時間がないことです。先生たちは朝7時45分に学校へ来て準備、打ち合わせをして、授業へ行きます。午後3時半に教室を返した後は会議があり、先生同士での打ち合わせもあります。さらに採点をしたり、時には保護者を呼んで話をしなければならないこともあります。平日はほかの仕事を持っている先生と校長が話す時間を取るのは難しいことなのです。

マレー系インド人の結婚式(1989年)

 

今年で40周年。みんながボランティアで支えている学校  

レインボー学園は1973年から準備に入り、1974年に開校し、今年で40周年を迎えます。  

学校を運営している理事の方々は毎年10~15名いるのですが、全員がボランティアです。この地域の企業の経営者や個人企業の方、日本からの企業など、40年前から変わらず学校を運営していて、毎月1回、夕方4時~夜10時や11時頃まで会議をしています。  

また、現在約30名の先生たちは授業のある土曜日だけの給料ですが、実際はほかの日にも保護者の相談を受けたりしています。英語がそれほど得意ではないお母さんたちにとっては日本語で話せる先生は話しやすいということもあるかもしれませんね。先生たちは平日はほかの仕事をしていて、中には学校に勤めている先生もいますし、教育関係ではない仕事の人も多くいますが、熱心にレインボー学園の仕事をしている人ばかりです。  

それから保護者の方々はボランティアで子どもたちの安全を守るためウォッチング当番をしてくれています。目立つベストを着て、校内を見回り、もしも不審者が入ってきたりしたら、校内にいる警察官に連絡をすることになっています。大量にある図書の貸出業務も司書2人と一緒に保護者のみなさんが手伝ってくれています。  

そのほか、フレンズ・オブ・ザ・レインボーという後援会組織もあり、日系の企業や現地の企業からの寄付にも助けられています。  

 

カイムキ中学校を長く借りられていることもありがたいことです。アメリカは日本と違って、先生方は毎年同じ教室を使って授業をするので、教室は自分の城というくらい愛着があるのです。自分の教室のものを触られたり壊されたりするのをよく思わない先生もいるのではないかと思います。  

レインボー学園はカイムキ中学校を使って18年になりますが、公立の学校をそれほど長く使っている団体はあまりないようです。子どもたちが使うには、大人と違って、自由にのびのびと走り回れるグラウンドがないと学校として機能しませんし、送り迎えの車の乗り降りスペースも必要です。そういう意味でも今ほど条件のいいところはあまりないのではないかと思います。  

こうして、40年間みなさんに支えられてきた学校だと感じています。40年経つと保護者が卒業生ということもあります。思い入れがあってお子さんを通わせてくれたりしている卒業生もいることは嬉しいことですよね。

 

子どもたちは楽しくも、大変です  

もともとはご両親の仕事の関係で日本からハワイに来て、いずれ日本へ帰る生徒がほとんどでしたが、最近は変わってきていて、8割はもしかしたら一生アメリカに住むという生徒が多くなっている傾向にあります。お父さんがアメリカ人だったり、アメリカで生まれたり。今は日本へ帰ることが前提という生徒は2割くらいになりました。  

なぜそれでもこの学校に入学したいのかというと、お母さんの母国語である日本語を自分の子どもにも伝えたい、使えるようになってほしいという思いがあるようです。また、子どもが日本の大学へ進学したいと言うかもしれないのでそのときのために、という人も多くいらっしゃいます。  

 

でも、子どもにとってレインボー学園に通うというのは大変なことです。アメリカの学校は宿題が多いですよね。レインボー学園の生徒たちは月曜から金曜までの5日間は一般の学校に通っているわけですから、その宿題にプラスしてレインボー学園の宿題があるということです。レインボー学園は土曜だけしかありませんから、それを補うためにそれなりの宿題が必要になります。1日30分ずつすれば1週間で終わる量ですが、子どもが毎日30分勉強するというのは大変なことです。金曜の夜に泣きながらお母さんと宿題をしているということもあるのです。  

レインボー学園は入学試験も難しいと言われていますが、この学校は日本語を教えている学校ではなく、日本語で国語や算数など教科を教えている学校なので、日本語で指示が聞けないと授業についていけないのです。国籍については日本国籍でなくても全く構いませんが、日本語がベースにあるということが前提の学校なのです。もちろん、勉強をしていく上で日本語を覚えていくこともありますし、日本の礼節を学ぶということもあると思います。  

 

進級するときの基準があり、これも厳しいですよ。漢字テストの合格点のクリア、宿題提出率、授業態度、5割以上の出席率が必要です。現地の学校でサッカーや野球をしていると試合や練習は土曜日だったりしますよね。遅刻や途中で抜けたりすることを3回すると1日欠席になるのですが、そんな中でも子どもたちは頑張っていますよ。  

レインボー学園に入るために勉強する施設もあるらしいのです。そこまでして来ていただけるのは期待されているということなので、我々も頑張らないといけないといつも感じています。  

 

こうした状況でも頑張れるのは、学校が嬉しいのだと思います。日本の子どもたちと会えるのが楽しいんでしょうね。それから日本のイベントも彼らの楽しみのひとつです。例えば、日本では普通に行われる運動会はアメリカの学校にはありませんよね。日本と同じように、徒競走や障害物リレーなど日本の運動会を行っています。  

特に幼稚部では日本らしい季節の行事を取り入れています。お正月のお餅つき、3月はお雛様、5月の鯉のぼり、七夕まつりなど、日本の伝統文化を感じるイベントばかりです。保護者の方々もそういう行事を経験させたいと思っていただいていますし、ご自身も楽しみにしてくださっているようですよ。

 

休憩時間返上の先生たち

子どもたちも大変ですが、先生も大変です。みなさん子どもが本当に好きですよ。そうでなければ続かない仕事でもあります。というのも週1回、1日6時間の授業をして終わりというわけではではないのです。小学校4年生までは国語や算数など1日6時間を同じ先生が見ています。5、6年生になると科目別になりますが、先生は朝から晩まで授業しています。基本的には子どもたちから目を離せませんし、休み時間にトイレに行く時間すら惜しみながら生徒の作品を見たりしています。昼休みもお弁当を食べないで働いている先生もいるので頭の下がる思いです。  

日本はクラスの数の何倍も先生がいて、授業のない時間の先生が必ずいますが、レインボー学園は授業がない先生は1人もいない。すべての時間をすべての先生が授業をしています。  

 

よく日本の教育関係者や教育の勉強をしている大学生から、観光で行く際に学校見学をしたいとご要望をいただくのですが、全員授業をしていますから案内をできる人がいないのが現状です。私が時間のあるときには案内をするようにしていますが、見学に来るには目的と大学生なら指導教官の推薦状を送ってほしいとお願いしています。  

20年間レインボー学園で先生をしている方もいます。子どもたちが大きくなっていくのを見たり、卒業生がクリスマス前にカードとお菓子を持ってきたりすると本当に嬉しそうです。それが先生たちのなんにも代え難い喜びですよね。

 

教育をする上で大切にしていること

教員になって3年目くらいのときに、まったく言うことを聞かない生徒がいました。タバコを吸ったり、態度が悪かったり、とにかく困った生徒でした。それから30年以上が経って、私が車を買うためにあるディーラーに行ったときに、そこの営業所の所長さんがその生徒だったということがありました。彼には「先生には迷惑をかけて申し訳ないと思っている」と言われましたが、こちらこそ、この子は将来悪い人間になるんだろうなと思いながら、いつも怒っていた記憶しかなく、彼の姿を見てなるほどと思いました。  

今、成績が悪くても、態度がよくなくても、みんな自分より立派になるということなのです。自分は今は子どもたちより身体は大きく、教師という立場ですが、きっと将来逆転する。なかなか聞かない子どもたちに対しても、いつもそう思いながら接してきました。どんなふうに変わるのかなと楽しみですよ。  

自分より立派な大人になった生徒たちから見ても、自分は恩師なわけで、先生と言われるのが恥ずかしいくらいのときもありますが、子どもの成長を見られるという意味では、先生というのは楽しみがある仕事だなと思っています。

 

これからのレインボー学園

創立40周年になるレインボー学園は本当に多くの方に「見て」いただいていると感じています。レインボー学園の校長とわかるといろいろな方が声をかけてくださいます。  

学校を創っている人、一度でも関わったことのある人や卒業生も含めて、昔の日本のように自分の学校にとても愛着を持っています。卒業生がお子さんを入学させるのもそうですが、「レインボー学園がいい学校であってほしい」、「いい子どもを育ててほしい」というみなさんからの期待の大きさを感じ、同時に責任を感じています。  

昨年の最後の授業の日のエピソードなのですが、翌年から入学したいというお子さんのお父さんとお母さんが学校の門を入って来たときに、大きな声で「こんにちは!」と小学校低学年の女の子2人が声をかけたそうです。事務所の場所を聞いたところ、丁寧に説明をしたようですが、それでもわからない様子を見ると案内をしてくれたそうです。  

そういう話を聞くと本当に嬉しくなり、誇らしいと思いますよね。こうしてみなさんから褒められるような生徒が増えてほしいですね。  

勉強は大変な学校ですが、レインボー学園の生徒たちは将来必ず日本とアメリカの架け橋になることを確信しています。

 

ライター:大沢 陽子(日刊サン 2014. 1. 25)

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