世界各国のラリーで何度も優勝されてきた田嶋伸博さんは、これまでのガソリン車から電気自動車に切り替え、今年の6月にコロラドスプリングスで開催されたパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムの電気自動車部門で大手自動車メーカーチームを抑えて見事優勝。ハワイでその技術を活かした電気自動車の普及活動を計画されている。田嶋さんにこれまでの自動車人生、そして地球温暖化阻止への熱い思いを語っていただいた。
ライター:下吉陽子
地球温暖化は確実に進んでいる。
どうしても止めなければならない
− 世界チャンピオンのレースドライバーが目指す電気自動車の時代
パイロットヘの夢がレースドライバーに
—自動車レースを始められたきっかけは 何だったのですか?
高校時代からラリーが好きで、最初は二輪に乗っていました。四輪は18歳になってからです。本格的な競技は19才の時からで すが、非公認の走行会には、16才の頃からから出ていました。もともとは飛行機のパイロットになりたかったのです。宮崎に航空大学校があって、そこに私の高校から初めて受験す ることになったのです。
ところ が、航空大学校というのは、願書の締切が とても早くて、それを先生たちも私も知らなかったものだから、願書の締切に間に合 わなかった。それで浪人することになり、毎日近所の田んぼ道を走り回っていました。
ところが2月になって、たまたま父が戦友会 の同窓会で同期だった国士舘大学の事務長と話をしたら、「息子に浪人なんかさせたら不良になる。とりあえず、うちの大学に預 けろ」と言われ、 「規律の厳しい学校だし、こ れはいい大学だ」ということで、急逮2 月に上京して国士舘大学工学部の試験を受け て通ったのです。ですから最初は、半年ぐら いしたら、また受験勉強をしようという軽 い気持ちでした。
-それが変わったのはどういうきっかけですか?
大学のすぐそばにレーシングチームがあって、アルバイトを募集しているのを、たまたま目にしたのです。そこでは、大手自動車メーカーから委託されてラリーカーを開発していました。
僕はそこでアルバイトとして働 き始めたのですが、ある時プロのドライバー が体調をこわしてテストドライブに来られなくなったのです。それで 「もうキャンセルだ」と いって片付けようとしていたので、「僕でもそ のくらい出来ます」とお願いして運転させてもらった。
その時にはすでに二輪で経験を積んでいましたし、プロのドライバーの運転を見ながら、「自分なら、あそこはこうする」とい うことを考えていましたから、自信はあった のです。そうして運転させてもらったら、プロ のドライバーより僕の方が速かったのです。
みんなびっくりしましたが、そこの会社の社長が一番びっくりしました。「どうしてもっと早く言わなかったんだ!」と言われて。それで 「じゃあ、田嶋君にテストドライブをさせて、開発しよう」ということになって開発したの が後に世界ラリー選手権を制することになる、大手自動車メーカーのラリーカーです。