シロの思い出
先日、妹の家に遊びに行ったら、まだ人間の言葉もおぼつかない甥が猫の鳴きまねをしていました。それも、「にゃーにゃ―」などではなく、非常にリアルな鳴きまね。無理やり文字にするならば、「ンナァーオ」とでもいうのでしょうか。すると驚くことに、妹の飼っている太っちょの茶トラ猫も、甥に反応して鳴き始めました。二人(二匹?)はそのまままるで会話をしているよう。実際にコミュニケーションが取れているかはともかく、生まれた時から身の回りに動物がいるとそうなってしまうのでしょうか。
私は今までメダカと金魚以外のペットを飼ったことがなく、甥の見ている世界はわかりません……とここまで書いたところで、私の頭の中に鮮明に白い毛の塊の姿がよみがえってきました。あれははるか、はるか昔。私の家には「シロ」という犬がいたのです。
シロは、私が生まれる前に、今は亡き曾祖母がどこかからもらってきた雑種のオス犬。犬の割にはおとなしく、さして吠えもせず、どちらかというとぼんやりしているタイプ。とはいえ、初めての子育てを控える母は、シロが赤ん坊に嚙みついたり引っかいたりしないだろうか心配したそうです。
ところがシロはとても賢く、私にけがをさせるどころか、私が泣けば大人を呼び、私が眠れば隣で一緒に眠り、私が飲み残したミルクを貰い、まるで自分の子供のように接しはじめたのです。オス犬なのに、あふれんばかりの母性。あまりにも一緒にいるから、同じミルクのにおいがしていたとか、大人が私をシロの背中に乗せてやると、それはもう誇らしげに歩いていたとか、私とシロはいいバディだったようです。
ここまですべて「らしいです」「ようです」なのは、私が物心つく前に、シロは虹の橋を渡ってお空に行ってしまったから。私はシロの温かい、真っ白なふわふわの毛をおぼろげながら覚えているだけ。写真もあまり残っておらずーというのも、写真がまだ特別なイベントだった時代もありますが、周りの大人たちはシロとの別れがこんなにも早く来るとは思っていなかったのでしょう。もう一度シロに会いたいな、シロはこんなにも大きくなった私のことを覚えているかな、と柄にもなく目頭が熱くなってしまいました。
甥と猫を見ていると、そんな四半世紀以上昔のことを思い出してしまいました。彼らもいつか別れなければならない日が来ます。その日までたくさん猫語をしゃべって、一緒に寝て、時々けんかして、仲良く過ごしていってほしいと思う叔母なのでした。
CAN OF ALOHA No.57
金平 薫 (Kaoru Kanehira)
香川県出身、現在はハワイ某所にて武者修行中。 日々のあれこれを、ゆるりとお伝えできたら幸いです。美味しいものには目がありません。 なんでもない毎日は Instagram:kaoru_channel をご覧ください。