このところ、東京、大阪の盛り場や観光地は大にぎわい。コロナ禍で繰り返された非常事態宣言のもと、外出自粛や居酒屋などでの「禁酒令」が続くことに、「もうブチ切れた」と不満をぶつける若者。おとうさんたちからも「がまんはそろそろ限界」という悲鳴が聞こえてきます。
「暴走老人」と化した菅義偉(すが・よしひで)首相は、医療関係者らの懸念などどこ吹く風とばかりに、間近に迫った東京五輪・パラリンピックの開催に突き進むつもりのようです。しかし、オカミがいくら「人流抑制」を呼びかけようと、シモジモの多くがもはや聞く耳もたない、というありさまでは、ワクチン接種が進んでも、やっとおさまり始めた感染がまたぶり返すことにならないのか。心配は尽きません。
わたしたち日本人は元来、がまん強い国民だと言われてきました。なるほど歴史を繙(ひもと)いても、19世紀末の日清戦争に勝利したのに、ロシア、フランス、ドイツによる三国干渉で遼東(りょうとう)半島を返還させられて「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」が国民の合言葉になりました。第二次大戦中は「欲しがりません、勝つまでは」と歯を食いしばってきたし、戦後は焼け野原の耐乏生活をしのんで奇跡の復興を遂げたことを思えば、かなりがまん強い部類、とは言えそうです。では、ドイツ空軍の猛爆撃を耐え抜いた英国民と比べて、さて、どちらが忍耐強いのか。わたしの判定は後ほど。
がまん強いかどうかはともかく、「忍従の美学」にうっとりするタイプの日本人が多いことは間違いなさそうです。
ご存知、『忠臣蔵』。吉良上野介のいじめに耐えに耐えた赤穂藩の浅野内匠頭(あさの・たくみのかみ)が「カンニン袋」の緒が切れて、江戸城内松の廊下で刃傷(にんじょう)に及ぶところが、人びとの涙を絞ってきました。吉良邸に討ち入って本懐を遂げるクライマックスの盛り上がりも、赤穂浪士たちが耐えしのんだ苦難の日々があってのことでしょう。
昔よく観た高倉健主演のヤクザ映画は「ガマン映画」とも呼ばれました。敵対組織の横暴を耐えぬいた渡世人の健さんが「あっしのがまんも限界でござんす」とドスを抜いて単身、殴り込んでいく。健さん、やっちまえ!胸の内でなんど、そう叫んだことか。日本中がテレビの前で涙した『おしん』も、「忍従の美学」の最たるものにほかなりません。
で、さっきの日英忍耐度比較。わたしは英国に軍配を上げます。
ロンドンの地下鉄は車内アナウンスもないまま、10分、20分と止まることがざらにあります。こちらは腕時計をのぞき込みながらイライラしてくるのに、車内を見渡すとロンドンっ子たちはあわてず、騒がず。ある日のこと、どうしたことか、自宅のアパートからの電話は通じないし、パソコンのラインもつながらなくなりました。BT(英国の電気通信事業者)に文句を言うと、「2,3日くらい様子を見て、ダメなら、また連絡して」。オイオイ勘弁してよ、先進国だろ。英国とは人間修養の場なり、と心得ました。
作家の司馬遼太郎さんは『モンゴル紀行』の中で、モンゴルからの帰路、旧ソ連のイルクーツクの空港で、何の説明も受けないまま、8時間以上も待たされた経験を書いています。司馬さんの観察の鋭さは「交通機関に群れているソ連人乗客がみな重苦しいばかりに従順で、舌打ちひとつする者もないために、自然こちらが同化し、かれらと同質な従順さを身につけ、不平など言う気もおこらず、腹も立たなくなるのである」と綴っているあたりです。
旧ソ連のアネクドート(諷刺小話)に、3匹の犬の会話があります。アメリカの犬が「きのう、吠えすぎてご主人に夕食の肉を取り上げられちゃった」。すると食糧難のポーランドの犬が「肉って何?」。続けて、自由にものが言えないソ連の犬が「吠えるって何?」。なるほど忍耐強いとは、ソ連のワンちゃんのように、オカミにたてつかず、従順であることの裏返しなのかもしれません。
だとしたら、なんとも一貫しないオカミのコロナ対策や、ろくすっぽ説明もしない五輪対応に「ブチ切れる」のも、案外と健全な反応と言うべきでしょうか。いやいや、待てよ。そうでもないか。
きょうも、熱中症の患者が相次ぐ酷暑のなか、汗をぬぐいながら、ワクチン接種の長い列に整然と並ぶ人たちの姿をテレビが映し出しています。きまじめで、従順で、健気で、そして辛抱強い日本人のDNAは、ちょっとやそっとのことでは、変わらないような気がしてきます。
(日刊サン 2021.07.02)
木村伊量 (きむら・ただかず)
1953年、香川県生まれ。朝日新聞社入社。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、ワシントン特派員、論説委員、政治部長、東京本社編集局長、ヨーロッパ総局長などを経て、2012年に代表取締役社長に就任。退任後は英国セインズベリー日本藝術研究所シニア・フェローをつとめた後、2017年から国際医療福祉大学・大学院で近現代文明論などを講じる。2014年、英国エリザベス女王から大英帝国名誉勲章(CBE)を受章。共著に「湾岸戦争と日本」「公共政策とメディア」など。大のハワイ好きで、これまで10回以上は訪問。