体質 — あなたと私の違い
芽吹きだす木々の姿は麗らかな春の訪れを予感させます。「石ひかるとき早春の雨細し」稲垣汀子の句です。他の季節と異なり、春の雨は優しいリズムを刻むように感じます。日本では相変わらず新型コロナウイルスの蔓延に終息の兆しはみえません。街行く人々の足取りも心なしか重そうに見えます。これから花粉症などに悩む方も増えてくることを思えば、一日も早く健やかな日々を取り戻したいものです。
花粉症などいわゆるアレルギーはよく「体質」と呼ばれます。体質とは何を表現しているのでしょうか?ドクターでも「それは体質ですね」という言葉を使われ、私達も何となく納得していませんか。ところが実際には“体質”は医学用語ではありません。
最近では体質に近い言葉として本態性があります。本態性高血圧などお聞きになったことがおありでしょう。本態性とは遺伝と環境の相互作用によって発症する病気などを指しているようです。中尾光義熊本大学教授の言葉をお借りすれば、体質とはそのヒトの身体全体の性質を総称するもので、内面も外面も含んでいるのだそうです。つまり個々人の個性を表すと言い換えることもできそうです。その個性はどこから生まれるのでしょう。
同じ環境の下で成長した兄弟でも個性は異なります。その違いを生みだす一つの要因に現代の生命科学が答えを出してくれています。私達のゲノムと呼ばれる指示書は4文字の塩基と呼ばれる文字で書かれています。ゲノムは99.9%同じですが、僅かに0.1%に違いがあります。因みにヒトとチンパンジーのゲノムの違いは1.23%だそうです。この0.1%の違いがヒトの個性を生み出しています。こうした文字の違いを1塩基多型(SNP)と呼ぶそうです。このSNPによって個人が識別できるので、犯罪捜査などで利用されるDNA鑑定も可能になるのです。それだけでなくこのSNPの違いによって身長や顔立ちなど外見の特長やSNPのある場所によって糖尿病や高血圧など病気に罹り易いか否かについて一定の判別ができるようになってきています。
分かりやすい例を挙げれば、アルコールを飲んで全く酩酊しない人とすぐ酔っぱらってしまう人の違いがあります。アルコールは肝臓で代謝されますが、この一連の流れにSNPが関わっているそうです。アルコールは2つの代謝酵素によって体外に排泄されますが、この時身体に有害な作用を及ぼすアセトアルデヒドが残留して悪酔いや二日酔いの原因となります。2つの酵素を作る遺伝子の違いによってアルコールに強いヒトと弱いヒトに分かれるのです。
アセトアルデヒドの分解酵素が働きやすい“体質”は欧米人に多いそうですが、逆に安心して過度の飲酒を続けると、病気の引き金になったり、アルコール依存症に罹ったりと不愉快なことに直面しかねません。他者と自己を分けるSNPと上手に付き合い、身体のふるまいを見守っていきたいものですね。
神楽坂発 お身体へのお便り No.79
安田祥子 Akiko Yasuda
株式会社jast代表取締役会長
統括メディカルアドバイザー、フリーライセンスドクター、「農林水産省 産学共同プロジェクト」メンバー
最愛の娘の突然の死をきっかけに、健康は当たり前のものではなく、自らの手で守り育むものと痛感し、分子生物学や医学などを学ぶ。2013年(株) jastを設立し家庭と医療機関を結ぶ架け橋としてのアドバイザー育成に取り組む。これまで200件以上のクライアント様の健康・医療・日常生活のご相談に応えるとともに、教育部門JAMAで主席講師を務め分子生物学の観点から細胞に働きかける栄養素や最新の遺伝子研究など多岐に渡る講義を行う。数多くの機関誌への執、講演会、セミナーなども行っている。