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デジタル版・新聞

高尾義彦のニュースコラム

香川県・豊島の自然と、「花を見る会」

 大量に産業廃棄物が不法投棄され、「ごみの島」と呼ばれた瀬戸内海の香川県・豊島(てしま)。豊かな自然を取り戻すための公害調停が成立して6月で20周年の節目を迎える。その日を前に、島の住民や弁護士、科学者、メディア関係者らが、ツツジ、スモモを愛でながら、真の原状復帰に向けて運動を継続する決意を再確認する「花を見る会」が5月17日に開かれる予定だったが、コロナ対策の緊急事態宣言で無期限延期となり、最近は訪れる観光客もゼロになった。

 

 元日本弁護士連合会長、中坊公平弁護士の取材を通じて豊島報道に関わった一人として、懐かしい顔に会いたかった。当初計画された4月12日に続く再度の延期の結果で、粘り強い運動の歴史に、記憶のあれこれが蘇る。

 

 初めて中坊さんと一緒に島を訪ねたのは、1998年だった。中坊さんが住専の不良債権回収を課題とする整理回収機構の社長を辞めた後、廃棄物対策豊島住民会議の要請で公害調停弁護団長に就任、新たな活動を始めたと知って、同行した。

 

 豊島の廃棄物投棄の歴史は1960年代にさかのぼる。山砂の採取跡地で島内の廃棄物処理業者が75年頃から住民の反対を押し切って廃棄物の中間処理を始めた。80年代に入り、関西や東京からシュレッダーダストと呼ばれる自動車や電化製品の解体ゴミや汚泥を大量に運び込み、野焼きなどの処理を続けた。監督官庁である香川県は適切な指導をせず、むしろ、業者の行動を正当化する役割を果たした。

 

 兵庫県警が90年に業者を廃棄物処理法違反で摘発し、流れが変わった。住民側は93年11月に公害調停を申請、中坊さんの指導の下、調停に向けた協議を拒否した香川県への「立ちんぼ」抗議などの活動を展開した。

 

 公害調停の最終合意が2000年6月に成立、廃棄物を撤去して隣の直島にある三菱マテリアルの最終処理施設に運び、無害化処理後、再利用する構図が出来上がった。

 

 廃棄物の量は当時、60万トンと推定されたが、最終的に91万1千トン余となり、727億円の巨額費用を投じて、2017年に搬出を完了した。しかし、住民にとってはこれで終わりではなく、産廃特措法により補助金が交付される23年3月までに、地下水汚染の浄化処理などを完了し、美しい、豊かな島の自然を原状回復する課題が重くのしかかる。

 

 住民会議の事務局長として運動の先頭に立ってきた安岐正三さん(69)と初めて会った98年6月7日夜、豊島の民宿で運動に身体を張ってきた半生を聞いた。彼は中坊さんの人柄に心酔し、一心同体のような活動の日々を続けてきた。

 

 当初の計画では、廃棄物は10年で島から撤去されるはずだったが、その量が推定を上回ったことや処理施設のトラブルなどでずれ込んだ。中坊さんは、最終撤去を見ることなく、13年5月に83歳で亡くなった。

 

 安岐さんは満足のいかない作業の進捗状況に悶々とし、一晩でウイスキーの角瓶を空けてしまうほど酒でストレスを紛らしていた。中坊さんが亡くなった翌年の正月、やはり酒を呑んでうとうとしていた早朝、ふと目覚めるとそばに中坊さんが立っていてこちらを見つめていた、と安岐さんは言う。以来、断酒して運動に取り組み、廃棄物撤去が終わって東京で会った際、3年以上続いた断酒を解禁して乾杯したが、屈強な海の男にとっても、それだけ大きなプレッシャーを背負っての闘いだった。

 

 運動の取材を通じて実感したのは、運動の透明性の確保と情報の共有だった。安岐さんたちは香川県などに対して、廃棄物の現状や処理の方法などを住民に隠さず説明することを求め、明らかになった情報は、取材を離れた我々にも、逐次、知らせてくれている。最新の情報だと、コロナの影響で地下水浄化作業は半年ほど遅れる見通しだ。

 

 豊かな島を取り戻すため、公害調停成立に合わせて、建築家、安藤忠雄さんと中坊さんが呼びかけ、NPO法人瀬戸内オリーブ基金を立ち上げ、島にオリーブ畑を広げていった。現在は岩城裕弁護士が代表となって、ユニクロなどの支援を受けて活動している。すでに豊島産オリーブオイルの商品化にも成功、品質の良さを誇るまでになっている。夏には「島の学校」を開いて、子供たちに歴史と将来像を伝えてきた。

 

「花を見る会」の世話役で、公害調停では住民側代理人として尽力してきた中地重晴・熊本学園大学教授は、環境監視研究所の調査研究の実績などを基に、論文「豊島の教訓とは何か」を執筆している。この中で豊島の不法投棄事件とその処理が「廃棄物処理法の厳罰化、排出者責任の明確化など循環型社会へ舵を切るきっかけとなった」と指摘する。

 

 いまではすっかり一般的になった3R=Reduce(ごみを減らす)Reuse(リユース)Recycle(リサイクル)=は、豊島の大きな犠牲によってもたらされたといえる。バブルの時代の負の遺産が豊島に集中した40年を超える歴史を経て、青い海に囲まれた豊かな島を住民たちが存分に享受できる日が早く来てほしいと希望する。

 


高尾義彦 (たかお・よしひこ)

1945年、徳島県生まれ。東大文卒。69年毎日新聞入社。社会部在籍が長く、東京本社代表室長、常勤監査役、日本新聞インキ社長など歴任。著書は『陽気なピエロたちー田中角栄幻想の現場検証』『中坊公平の 追いつめる』『中坊公平の 修羅に入る』など。俳句・雑文集『無償の愛をつぶやくⅠ、Ⅱ』を自費出版。


 

(日刊サン 2020.05.5)

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