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【My Destination】第3章 「再挑戦」ハワイ Part 5
今回も、「幼少からの夢」へのチャレンジまでの残された時間をハワイで過ごしていた時の話を続けたい。常宿としたホテルのラナイでは心身ともにリラックスでき、同時に心身ともに良い状態で思考を巡らすに最適の場所であった。
何度も寄稿しているが、経営企画マンとしてのキャリアを積むためメガバンクを辞めて渋谷にあるベンチャー企業に飛び込んだ。そして結果として、次のステージに挑戦することができるというのは、経営企画マンとしての私の価値が世の中に認められたからに他ならない。
でも振り返ってみれば、経営企画マンとしての実力をつけることが出来たのは、自分の努力以上に取り巻く環境の力であった。そう考えた際、真っ先に浮かぶのは上司であった常務の存在だ。この方は一見気難しそうな雰囲気があるのだが、実態は真逆である。リクルート出身者らしく、“面白くなければ仕事ではない”がモットー。新卒でリクルートに入社し、その後数社のベンチャー企業を経て当社に招聘された。とにかく実務に強く、経営企画および経営管理のノウハウを一からすべて教えてくれた。この方の良いところは、一旦部下の力を認めると、その者に全て任せてくれることだ。私は数か月で放任状態となり、それがスキルアップに功を奏したようだ。
常務以外の経営陣にも恵まれた。それがなかりせば、会社は入社後一年半程度で重要な子会社の副社長を、この新参者の青二才に任せない。副社長就任時、私は34歳であった。その時から約1年半、がむしゃらに働いてその子会社と運命を共にしてきたのは過去寄稿してきた通りだ。この期間は、辛い経験も沢山積んだ。会社の急成長の反動としてメンタル不調者が多発したり、最終的には会社を畳むという決断もした。更には、一番手塩に育ててきた部下の退職もあった。辛い経験というものは出来れば回避したい。でも、捉えようによってはそれも経験となって自分にプラスに働く。私にとっては、これら辛い経験が転じて、大きな武器となった。
渋谷という環境もまた然り。メガバンクがあった大手町駅の朝は、見渡す限りに濃紺のスーツをまとった人たちで埋め尽くされていた。渋谷は真反対で、スーツは少数派。街の傾向は会社にも表れていた。メガバンクの文化を“教科書通り”と例えるなら、ベンチャー企業のそれは“自由研究”であった。でもその環境のお陰で変なプレッシャーから解放され、伸び伸びと仕事に打ち込めた気がする。
高校卒業時に恩師が一通の手紙をくれた。そこには、私が高校の文化にどっぷりと浸かっているがため、新しい環境(大学)に行くと戸惑うかもしれない、といった内容だった。恩師の目測は正しかった。それから今に至るまで、自分に合った環境とそうでない環境それぞれを味わってきた。そして今こうして、良い環境が、いかに自分の成長や引いては会社の成長に資するか再確認できた。
自分が目指すキャリアでは、いずれ私は環境の提供者になる日が訪れる。今までの経験で得た“人を生かすも殺すも環境次第”という教訓を胸に、それを大切にしてことをハワイの夜空に誓っていた。
(次回につづく)
No. 243 第3章 「再挑戦」
Masa Kokubo
1995年中央大学法学部卒。損害保険会社勤務後、アイオワ州の大学院にてMBAを取得。その後、メガバンク、IT企業を経て、現在はグローバル企業にて世界を相手に奮戦中。趣味はサーフィンとラクロス。米国生活は通算7年。
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