先日、バスに揺られながら音楽をランダム再生で聴いていたところ、妙に耳に残る曲に出会いました。聴いたこともない曲だったので、曲名を確認しようとスマホを見ると、そこにあったのは『抜錨』の二文字。作曲はナナホシ管弦楽団、歌っているのはボーカロイドと呼ばれる音声合成技術、つまり人ではなく、機械が歌っているものでした。お恥ずかしながらその曲名の読み方がわからず、広辞苑で調べてみるとそれはどうやら「ばつびょう」と読み、「錨(いかり)をあげて船が出帆すること」とありました。
船が停泊している間は重い錨を下ろしておくことで船をとどめ、次の目的地へ向かうときにはそれを引き上げることで船を進ませる。抜錨とはまさにその瞬間のことで、新しい旅路の始まりを意味しているのです。
私は妙に、その二文字が気に入りました。そして「新たな船出」「波瀾万丈」「荒波をこえてゆく」という言葉もあるように、人生の旅路はなぜ海路に喩えられることが多いのだろうと柄にもなく考えてみたのです。
科学的には、(諸説ありますが)すべての生物は海から始まったとされています。聖書でも、神様がこの世を創り始めてから3日目に海が造られ、そこに植物や生物の命の始まりがあるとされています。そのような「原点」を思わせる、神秘性を帯びたものが海にはあるのでしょう。
私たちが日々の生活を営み、原点から一歩一歩前に進んでいく。凪のときも、荒れているときも。目的地があっても、そこにたどり着けないこともあるでしょう。それでも、船は進んでゆく。ときには自分の目指す航路が進めないことも、あるいは順風満帆に進んでいくことも。まるで最期の瞬間を迎えるまでは終わることのない鼓動のマーチのごとく。人生を何かに例えるならば、これ以上にしっくりくる比喩はないかもしれません。
一方で、長い人生の中で、ときにはあえて錨を下ろして休憩する時間も必要です。波の狭間に揺られながら周りを見渡して、来るべき抜錨のときまでの時間を楽しむ。そんな時間を忘れてはならないとも思います。
なんだか偉そうになってしまいました。これを読んでくださっている皆様の今日の船旅が、どうか安全で幸せなものでありますように。そして、新しい航海図を手にしている方に精一杯のエールを送りたいと思います。面舵いっぱい、ヨーソロー!
CAN OF ALOHA No.107
金平 薫 (Kaoru Kanehira)
香川県出身、現在はハワイ某所にて武者修行中。 日々のあれこれを、ゆるりとお伝えできたら幸いです。美味しいものには目がありません。 なんでもない毎日は Instagram:kaoru_days をご覧ください。